林東植さん(広島県)

・20才で強制収容。入園直後、両目に注射を打たれ失明した。

・広島県出身の入所者は約50人。退所した人は約10人。

・全国の都道府県のうち山口、香川、岡山、愛媛の4県は、県独自に退所者に医療費や介護費を補助している。

・広島県では入所者が里帰りする際の交通費などを補助する制度はあるが、退所者への援助は年1回の健康診断と県営住宅への優先入居だけ。

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スクランブル:
自伝執筆を生きがいに--中区の元ハンセン病患者・林東植さん /広島

2006.05.21 毎日新聞地方版/広島 
 
 ◇「自分の力で当たり前の生活をしたい」--林東植さん(69)

 ◇「社会復帰しやすい施策を」

 「自分の力で当たり前の生活をしたい」。中区基町に住む元ハンセン病患者の林東植さん(69)は、国立ハンセン病療養所「長島愛生園」(岡山県)を4年前に退所、社会復帰した。全盲で両手足にまひの後遺症が残るが、一人暮らしの生活を選んだ。「残された寿命は長くない。転んで痛い思いをしてもいい」。療養所で俳句や小説を書く楽しさに目覚め、現在は口述筆記で自伝「ロウソクの炎」を執筆する毎日だ。【大沢瑞季】

 林さんは1937年、出稼ぎで来日していた韓国人の両親の長男として生まれた。父は大阪府で油販売店の店員をして家族を支えた。太平洋戦争が激化した44年、一家は安佐北区に疎開。原爆が落ちた日は担架で運ばれる死体を山ほど見た。小学校にむしろを敷いて負傷者を寝かせ、赤チンを塗り水を飲ませた。

 9歳で発症。二の腕の感覚が消えた。ろうそくの炎を当てても熱くなかった。信じられず何度も確かめたため、今もやけどの跡が残る。自伝のタイトルは、この経験から付けた。しばらくは症状が軽く、病気を隠し続けたが、窃盗罪などで起訴されたのをきっかけに、20歳で長島愛生園に強制収容された。

 入園直後、両目に注射を打たれ失明した。「医者からは何の説明もなかった。新薬を試すための人体実験だったと思う」。光を失ったことは人生で最もつらく、睡眠薬で自殺を図りもした。

 療養所で48年間を過ごした。約2000人の患者に対し医者は5人前後と不足。軽い症状の入所者には、約60種類の仕事が割り振られた。

 02年4月に退所し、盲導犬と暮らし始めた。両手が不自由なため、電話をかける時は舌を使って番号を押す。家事や外出も介護ヘルパーがいないと出来ない。だが、毎日図書館へ行き、口述筆記で小説を書くことが生きがいになっている。県の依頼で講演会もする。ボランティアやヘルパーの助けもあり、「毎日幸せ」と感じる。

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 今年でらい予防法廃止から10年、隔離政策を違憲と判断したハンセン病国賠訴訟の熊本地裁判決から5年がたつ。

 県によると、現在、県出身者で全国の療養所に入所している患者は約50人。既に退所した人は約10人。全国の都道府県のうち山口、香川、岡山、愛媛の4県は、県独自に退所者に医療費や介護費を補助している。

 これに対し、広島県では入所者が里帰りする際の交通費などを補助する制度はあるが、退所者への援助は年1回の健康診断と県営住宅への優先入居だけだ。

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 高齢化や今なお残る差別、一人暮らしへの不安などのため、回復しても療養所を出て社会復帰しようとする人は少ない。林さんは「元患者が少しでも社会復帰しやすくなるような対策を進めてほしい」と、4年前から介護費や住宅費の補助を県に訴えている。

 「県は『無らい県運動』を推し進めた責任がある。藤田雄山知事は長島愛生園を訪れた際、私の手を握り支援を約束してくれたはずだ」と林さん。県保健対策室は「金銭的な補助は難しいが、他にできることを考えて支援していきたい」とし、双方で話し合いが続いている。

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無らい県運動、強制収容をめぐって、戦後の警察の役割については十分な検証がない。
また明らかに人体実験だったと思われる新薬投与で失明したり死に至ったということも、多数の証言はあっても、職員による(嬰児)殺人・死体遺棄と同様に、曖昧なままだ。

 

ところで「県出身者で全国の療養所に入所している患者」とあるが、「患者」ではなくて治癒していると数年前なら大問題にされていたかもしれない。もうそんなことに神経を使わなくなっただろうかな。後遺症は固定的でなく、予後もしっかりした専門的なケアがどこにいても受けられる体制づくりが急がれる。新患の発生はゼロとなり、この先は加速度的に減ってゆくという特殊な“疾病”という視点も必要ではないか。(vino)

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コメント
 
 
 
 (岡本廉)
2018-01-15 13:44:44
私は平成12年に広島市中区役所からの依頼で、
林さんの介護ヘルパーを何度か行ないました。
平成13年には直接ご本人から東京へ飛行機で行きたいので、
付き添って欲しいとの依頼を電話で受けました。
ニューヨークでのSeptember11直後の事だったので新幹線にして貰えませんか?
とお願いしましたが断られましたので依頼をお断りした思い出があります。
岡山県のハンセン氏病療養所からの退所時期は
誤植では?
広島市中区基町の仁井山治療院の人も、
平成12年以前から広島で暮らされてたと仰っていました。
 
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