責任の追及を阻むもの/胎児標本・ハンセン病市民学会富山シンポ・5.30信濃毎日新聞

第2回ハンセン病市民学会 「絶滅政策」の闇に光 断種・堕胎の体験、当事者が証言

2006.05.30 信濃毎日新聞朝刊 

 これまでほとんど公に語られることがなかったハンセン病療養所での堕胎の体験を、富山市で開かれた第二回ハンセン病市民学会で元患者たちが証言した。ハンセン病問題が大きく動いた国家賠償請求訴訟熊本地裁判決から五年。隔離施設内で入所者に断種、堕胎を強いた「絶滅政策」の被害の深い闇に光が当たりつつある。

   ■   ■

 各地の療養所などに残る「胎児標本」の問題をテーマにしたシンポジウム。「初めてここで公にします。自分の話をします」。パネリストの一人、全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)事務局長の神(こう)美知宏さん(72)はそう切り出し、五十年間近く口に出さずにきた妻の中絶体験を語った。

 神さんは一九五一年に国立療養所大島青松園(香川県)に入所。五六年に結婚する時、医師から断種手術を受けるよう“説得”されたが、「人間の尊厳にかかわる」と拒否した。翌年、妊娠した妻は泣きながら中絶手術を受けた。神さんは「断種していれば、こんな事態にならずに済んだ」と自分を責めた。毎年その日が近づくと、納骨堂にお参りに行く。胎児標本問題が表面化してから、妻は一時うつ状態になったという。

 「胎児標本」は、六施設に百十四体が残る。しかしそれは、ごく一部にすぎない。少なくとも三千体以上の堕胎があったことが、国賠訴訟の中で明らかにされている。神さんは「療養所内には堕胎の経験者がたくさんいるはずなのに、ほとんどの人が声を発しない。入所者はそれぞれの心の中に、誰にも言えない闇を抱えている」と話した。

 国立療養所星塚敬愛園(鹿児島県)に暮らす玉城シゲさん(87)は、会場から発言。妊娠七カ月で人工早産させられ、その胎児を目の前で看護師に殺された体験を語った。「私は、殺された子どもたちの行方を知りたい。犬や猫のように始末され、どこに埋められたのか。それを国に聞きたいんです」

 国立療養所菊池恵楓園(熊本県)自治会副会長の志村康さん(73)も、パネリストとして、昨年亡くなった妻の中絶体験を語った。

   ■   ■

 学会事務局がシンポジウムの準備を始めた昨夏、胎児標本問題をテーマに据えることには、入所者から「今さら何になるのか」「もう忘れたい」といった反発もあった。だが、厚生労働省が昨年十一月、胎児標本の焼却や埋葬を提案する文書を各施設に送付。事務局は「このまま座視できない」と全療協や入所者を交えて事前の議論を重ねてきた。事務局次長の遠藤隆久・熊本学園大教授は「絶対隔離政策によって『子どもを産んではいけない』という心理が入所者に刷り込まれた。そのトラウマ(心的外傷)を解消していくためにも、事実を見つめることが大切だと気づいた」と話す。

 全療協や市民学会は、胎児標本問題について国の謝罪と徹底した検証を求めていく方針だ。だが、神さんはシンポで、「個人の意見」と前置きして、「国の検証を理由に、(胎児標本の)供養をいたずらに先延ばしにしてはいかんと思う」とも発言した。全国の療養所入所者の平均年齢は七十八歳に達し、年間約二百五十人が亡くなっている。「何の区切りもつけないまま、安らかに人生の幕を引くことができるのか」

 玉城さんは発言の最後に、会場の参加者に訴えた。「どうか皆さん、このことを心に留め、こんな悲しいことが二度とありませんよう、私たちの胸の痛みを少しでも取り去ってくれるよう願っております」

   ■   ■

 深い傷口を自らえぐるように語った元患者たちの、その痛切な思いを、どうすれば受け止められるのか。それは「国の責任」だけでなく、同じ社会に生きる一人ひとりの問題だ。

 ルポライターの鎌田慧さんはシンポに先立つ講演で、自身の悔恨を込めてこう語った。「患者は全員療養所に入れ、自分たちは『安全』に暮らしたいという思いが、根っこのところで入所者たちの無限の不幸を作ってきた。無関心だったことをこれから自分なりに解決していけば、もう少し違った目で社会や世界を見られるんじゃないか」

   (畑谷 史代)

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« 長野県のハン... 胎児標本・国会 »
 
コメント
 
 
 
医療の名の下に行われた殺人 (医療・介護について考えるブログ筆者)
2006-06-15 22:03:58
 まさに殺人以外何者でもないですよね・・・

 お母様方も子供さんも何にも罪がないのに・・・

 標本にされた方々を供養だけではなく、きちんと家族の下へ返してあげてほしいです・・・
 
 
 
そのとおりですね・・・ (vinoblanco)
2006-07-19 23:33:23
コメント&トラバ、ありがとうございます。



「医療の名の下に・・・」。そのとおりですね。



これらの胎児標本は、ハンセン病療養所内で嬰児殺しが行われていたことの「物的証拠」でもありました。死産であったのか、産声があがってから(つまり肺呼吸を一度でもして)殺されたのかは、解剖によって明らかにできるそうです。



けれども、そもそも「ハンセン病療養所内で医療行為の名を借りて行なわれていた“患者根絶”政策に関する事実の検証(とでもいいましょうか・・・)」が十分になされたとは言えず、それらに対するあらゆる議論を背負ったまま、検証会議の報告(2005年1月)から1年5ヶ月あまりが経ちました。



大きく分ければ、「過去の検証・真相究明」という課題と、115体の「処理」=母親・父親たちの現在進行形の問題=父母探し・告知・供養のことなど・・・を抱えています。



ハンセン病問題でよく言われるように、被害は二重、三重になっています。まずはハンセン病に罹患した者は子どもを産んではいけない、という強い刷り込みがあり、そうした意識は、閉ざされた社会の中で、妊娠=背徳行為という倫理観さえ生んでいた。そこに、中絶・もしくは取り出された子が目の前で殺されたという経験は、怒りや悲しみよりも罪の意識を強く残し、語ることへの羞恥や抵抗、その裏には今日もなお癒えない心の傷が残されていると思います。



そうした呪縛から放たれ、自身の経験を語ろうと決意した母親、父親たちはごく一握りの方たちであって、多くが未だに罪の意識を背負って苦しんでいる。そっとしておいてほしいと願う。胎児標本を扱ったテレビ番組が放映されれる度に、忌まわしい思いで見る、あるいは決して見ない、見たくもないという方もいるでしょう。ハンセン病国賠訴訟の時と同じように、国を告発する側にまわった人を、そうでない人が批判し(当然その逆も)、被害者が大きく分断されるという現象を引き起こしてしまうのです。



ですから、国が、当時者(被害者)たちの団体に伺いをたて、意見の集約を求めるということがどんなに残酷で無責任なことか。

裏を返せば、当事者と国との間で処理できれば、被害者たち自身の抑止力によって、これ以上は国立の施設でおきた犯罪としての問題が大きくなることはないだろうということです。

そのことを一番よく知っているのは厚生官僚たちだと私は思いますが・・・





先日の厚生労働大臣の入所者団体への謝罪をもって、おそらくあとは個々の告知や供養という「処理」の問題のみになるのでしょう。しかし、謝罪はしたものの、職員の手による違法行為、殺人があったかどうかは、公式にはグレーのままなのです。果たしてそれで良いのかどうか。





胎児を含めた標本は、実は他の研究機関(大学病院などか)へ横流しされたものもあったということもわかってきているそうです。先日のNHKテレビ「クローズアップ現代」では、「貴重な資料」を処分するわけにもいかなかった(ので標本にしておいた)、という元療養所の医師の証言もありました。「命」である前に「資料」だった。事実、標本の中には、何の目的だったのか両眼をくり抜かれているものもありました。



ハンセン病に限らず、例えば重い障害をもって産まれた赤ちゃんが、母親がショックを受けるからという理由で闇に葬られ、そうしたご遺体が実はホルマリン漬けにして並べられ、医師や医学生たちは解剖と称していつでも自由に扱うことができるという現実が、あたり前のようにあったようです。



着床前診断などの方法が飛躍的に進歩し、「命の選別」は今も、形を変えて行なわれています。かつて、ハンセン病の親から生まれた子は、命として尊ばれることなく葬られた。そのことの理不尽さを知った今も、私たちは二度とそうした過ちを繰り返さないと心の底から後悔しているでしょうか。



市民として行政を監視するということを含めて、今を生きている私たちの問題としても、考えてみなければならないことが多いと思います。



 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。