Bell おばさん

日々の記録

憎しみの先

2006年09月11日 | Weblog
 2001年9月11日ニューヨーク世界貿易センタービルがテロにハイジャックされた飛行機によって破壊されてから5年経ちました。それをきっかけに翌月米英がビンラディン率いるアルカイダを追ってアフガニスタンを空爆しました。アフガニスタンに新政権が誕生しましたが、この国に平和はきません。かえって、治安が悪化して人々の暮らしは貧しくなるばかりです。 次ぎに、イラクに大量破壊兵器があるということで、翌年3月に米英軍が爆撃を開始しました。世界の多くの国がイラク攻撃に反対していたのに・・・。大量兵器なんてイラクにはなかった。ブッシュ大統領の言い訳は、「イラクに自由がもたらされた。」・・・。しかし、イラクは未だに戦闘が続いている。国中が破壊され、どれだけの一般市民や子供が命をおとしたことでしょう。自由なんてちっとももたらされていないのです。悲しみと憎しみの血と涙でいっぱいです。拘束されたフセイン元大統領が殺害したイラク国民の数よりも戦争を起したブッシュ大統領によって亡くなったイラク国民やアメリカ兵のほうがはるかに多いのです。
 自由と民主主義を広めるからといって世界中を戦争に巻き込み他国をめちゃめちゃに破壊するのは止めにして欲しいものです。これ以上戦争を続けるのは無意味なことです。憎しみが、次々とテロを生んでいきます。ブッシュ大統領の責任は問われることはないのでしょうか。世界最大の軍事力をかさに来て「世界に自由を」の名の下に無意味な戦争をやりすぎています。戦争にかける費用を貧しい国々に援助するほうがどれだけ素晴らしいことか・・・。
 たくさんの国費を使った日本の自衛隊のイラク派遣も何の意味があったのでしょう。誰の為だったのでしょう。戦争反対。

可愛く老いる

2006年09月08日 | Weblog

 今日は、近くの病院内の老人ホームに慰問に行きました。敬老とお誕生日会のお祝いです。看護士さん達が病室から大勢のお年寄りをひとりひとり抱え車椅子にのせ、広めの休憩所に連れてきました。40人ほどのお年寄りが集まりました。お祝いの会が始まるまでが大変です。慰問先のどこの老人ホームも仕事とは言え、看護士さん達は本当に重労働です。
 ひとりの、綺麗な可愛らしいおばあさんがいました。90歳くらいでしょうか・・・。わたしは、彼女の耳元でそっと言いました。「美人ですねぇ。美人は歳をとっても美人ですね・・」 彼女はとても喜んで 「うれしい」 と言ってわたしの手をとりました。少し話をしたら、彼女の家は私の実家の近くでした。縁あって、遠いこのホームに入所されたのでした。心も可愛らしいおばあちゃんでした。いずれ人はみんな老いていきます。心のかわいらしい可愛がられる年寄りになりたいものです。

もしかしたら・・。

2006年09月07日 | Weblog
 昨日も今日も新聞テレビは親王誕生で、皇室関係一色である。皇室典範改正論は引っ込んでしまったようです。秋篠宮家の親王誕生により皇太子妃雅子さまは、いくらか気が楽になったのではないでしょうか。オランダの皇室との交流で静養されてきて、心のやすらぎを得られたかもしれません。お世継ぎをもうけなければならないと言うことは、皇室の女性にとっては大変なプレッシャーでしょう。
 男女共同参画社会づくりが彼方此方の地域でイベントとしておこなわれているようです。男女お互いの人権の尊重、責任の分かち合い、お互いに個性と能力を発揮出来るようにすると謳われています。昔から皇室は男性でなくては、天皇になれない。これは、お妃にとって、大変なことでしょう。皇室から考えを変えていくということはむづかしいことなのでしょうか。
 きっと、雅子さまも秋篠宮に親王が誕生したことにより、安心されて、お子様がお出来になるような気がします。もしかしたらお出来になっているかもしれません。

み~んな待ち続けました。

2006年09月06日 | Weblog
日本国中が喜びに包まれました。待ちに待った親王の誕生です。おめでとうございます。このことがきっかけとなって日本の出生率があがるかもしれませんね。どんなお顔をされているのか、どちらに似ていられるのか楽しみですね。

燃え盛る火に追われ・・・

2006年09月01日 | Weblog
今日9月1日は震災記念日。1923年(大正12年)9月1日午前11時58分にマグニチュウド7.9の恐ろしい地震がおきました。関東大震災です。死者行方不明者は10万人以上もいたそうです。私の父(生きていれば今は100歳をこえています。)に昔聞いた話ですが・・・。父は20代の一人身の時に、この地震に遭遇しました。丁度、お昼時で何処の家も昼食の支度で火を使っていました。今のようにガスではないので瞬時には消せません。激しい揺れの為に這いつくばって身体を移動させることもできないのです。瞬く間に彼方此方から火の手があがりました。皆大八車に家財道具を積んで逃げ惑いました。近くの本所被服所(今は震災記念堂になっている)に大勢の人々が逃げ込みました。持ち込んだ家財道具に火がついて見る見るうちに火の海になり、竜巻がおこり重なり合って人々がやけしんだそうです。また、燃え盛る火に追われて隅田川、学校のプール、そして池などに飛び込んで亡くなった人も大勢いました。気を失った父が意識を取り戻した時は自分の身体の上に死んだ人が折り重なっていたそうです。それから、どれほどの時間が経ってからかは知りませんが、救護に大きな氷のかたまりが運ばれてきた時に、砕けず、皆で分けることが出来なかった時に、父は氷にかぶりついて歯で噛み砕いたその時、周りの彼方此方から大勢の人の何本もの手が父の口伸びてきました。みんな喉がカラカラに渇いていたのです。父は必死で氷を噛み砕いたそうです。
父はこの震災で母と出会い結婚したのです。人生って不思議なものですね。