もちろん家計は火の車

読書と映画、クルマにゲーム……いろんなものを愛しつつ、怠惰な日常を送るオッサンのつぶやき。

「要塞の聖母マリア」、あるいは「スターリングラードの聖母」について

2011年03月24日 | 日常

戦記物のノンフィクションが、わりと好きである。
中でも、英国のノンフィクション作家
アントニー・ビーヴァーの手による
『スターリングラード 運命の攻囲戦 1942~1943』はお気に入りで、
いまでも手に取り、何度も読み返す一冊となっている。

実はこの『スターリングラード』という本、
ハードカバーで総計600ページ近くに及ぶ
大部となっており、読んでいる間など
持ち運びに大変苦労するハメとなる。

で、何とかならないものか……と思っていたら、先日
本屋をうろついている折、この『スターリングラード』が
文庫化されているのを発見してしまった。
「おぉ、これは!」というわけで、すかさず購入。
ま、このような経緯で、今回まったく同じ本が
"ハードカバー"と"文庫"、2つの形で手元に残ることとなった
(実をいうと私の場合、こういうパターン、わりと多かったりするw)。
自分でも思うのであるが、こういうムダばかりやってるから
今月も「家計が火の車!」なのであるなぁ……と。
(だいたい、文庫版の『スターリングラード』、
文庫のくせして「1冊=1000円」とかするんでやんの!
ま、あまり売れるタイプの書籍ではないので仕方ないのか、これは?)

ま、それはそれとして……。
このような事情で、今回あらためて
本書『スターリングラード』を読み返しているのだが、
その中に「要塞の聖母」という絵に関するエピソードが出てくる。

「要塞の聖母」(または「スターリングラードの聖母」とも)は、
ソ連軍に包囲され、完全に孤立した
スターリングラードに取り残されたドイツ軍部隊の軍医、
クルト・ロイバーが1942年のクリスマスに合わせ、
少しでも兵士を勇気づけようと
ありあわせの紙(押収したソ連軍の地図の裏!)に描いた
聖母子像の絵のことである。
軍医ロイバーは、食料も弾薬もなく、
酷寒の中「座して死を待つほかない」極限状況の中、
「要塞の聖母」に3つの言葉を書き添えたという。

『ヨハネ福音書』にちなむという、その3つの言葉とは
「licht(光)」「leben(命)」「liebe(愛)」。
そして、絶望と狂気、ガレキの山しかない地獄のような市街で
描かれた聖母は、とても穏やかな表情を浮かべていたのだという……。
『スターリングラード』には、
「この絵を見て、泣き出す者も多かった」とある(文庫版、417ページ)。

このエピソードを読み、今回どうしても
「要塞の聖母」を見たい、と思った。
本書『スターリングラード』には、この絵に関するエピソードが
詳述されているものの、絵そのものの写真は
残念ながら、掲載されていないのである。

で、「要塞の聖母」で画像検索をかけること、しばし……。
まさに「インターネット、おそるべし!」である。
あった、ありましたよ凄いサイトが。
……というワケなので、興味のある向きは
こちらのサイトを、どうぞご覧いただきたい。
このサイトさえ見ていただければ、「要塞の聖母」について
私ごときの拙い文章で、これ以上語る必要は「ない」と断言できる。
(もちろん、リンク先では「要塞の聖母」の絵の実物を見ることもできます!)

このサイトによると、「要塞の聖母」はその後、
ロイバーの絵に励まされ、奇跡的に
ドイツに生還した兵士の手により、なんと無事に
ロイバーの妻と子のもとに渡ったのだとか……
(残念なことにロイバー自身は、スターリングラード陥落後の
1944年、ロシアでの虜囚生活の中で生命を落としているようだ)。

そして現在……。「要塞の聖母」は
ベルリンにあるカイザー・ヴィルヘルム記念教会の片隅に
今もなお、ひっそりと展示されているのだという。
いつの日か、この目で直接「要塞の聖母」を見てみたいと思う。
「licht(光)」「leben(命)」「liebe(愛)」。
この3つの言葉は、いまだ東日本大震災の余波に揺れる
私たちにとって、いまもっとも痛切に必要とされるものなのだ。


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