エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

宗教を信じてますか?

2008-05-31 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

gooトレンドランキング、本日の第3位から

宗教「信じない」7割、「魂は生まれ変わる」3割…読売調査(読売新聞) - Yahoo!ニュース 
“日本人” 宗教「信じない」7割、「魂は生まれ変わる」3割、「先祖を敬う気持ち持つ」9割…読売調査 

なんてのがありました。

「信じるか?」と言う問いで言うと、俺は信じません。
ついでに、「呪い」や「まじない(漢字だと「呪い」で一緒になってしまうため、ひらがな表記)」といった類のものも一切信じません。
と、言うのは歴史が証明してますからね。
神が存在して、頑張っている人、正直な人、真面目な人が救われて、悪人が裁かれるのだったら、世の中に「罪もない犠牲者」なんてものは存在しないでしょうし、働いても働いても報われないワーキングプアーなんて存在しないでしょう。
「呪い」なんかもそう。そんなものが存在したなら、歴史上の「暴君」と呼ばれた存在の独裁者などは真っ先に殺されたことでしょう。でも、彼らの最期を見ると大抵は自分自身の失策のせいによるものだったりしますね。
繰り返すと、だから「信じるか?」と問われると「俺は信じてない」と答えます。
魂?そんなものも、死んだら終わりです。無になる。それだけです。
意識、自我、心、精神、といったものは、脳が活動した結果もたらされているものに過ぎません。物理的な現象です。細かなシステムは解明されてはいませんが、例えばお酒を飲んでアルコールが入ると酩酊状態になったり、麻薬を使用した人が幻覚を見たり錯乱したり・・・実際にそういった物質的な外的要因に影響を受けると言うことは、物理的現象であることの何よりの証拠でしょう。

ただ、今回最も言いたいことは「宗教や呪いの類を否定したい」ということではありません。
単純にここまでは、俺は個人的に「信じるか?」と問われると信じないという話を書いただけです。

今回最も言いたいことをこれから書きます。前置きが長くてすいません。
俺は宗教等は信じはしません。信じませんが、怪しげな振興宗教団体はともかくとしても、仏教やキリスト教等などに見られる「教え」そのものは、人として有るべき姿を説いているし、とても良いことを言っていますので、尊ぶべきものであると思っています。
聖書なんて、本当に良いこと書いてますよ。
キリストなんてまさに「聖人」ですよ。キリスト教徒じゃありませんけど。
「なぜそれで赦せる!?」って言わざるを得ない場面がいくつもあります。
人として有るべき姿を宗教の教えに求める、というのは有りだと思います。そして、実は宗教の本質って神の存在を信じる信じないなんてレベルの所にあるのではなくて、神という架空の超越者を通じて、人としての理想の有るべき姿を求めようとする姿勢にあるんじゃないかな?なんて思ってます。

それと、宗教のもつもう一つの大きな意味は、人として逃れられない「死」というものに対する、心の安寧というか・・・上手く言えないんだけど、死の恐怖から逃れようとするため心の拠り所というか、そういう部分にあると思ってます。

それが俺の「宗教」というものに関する考えです。「俺の宗教観」というべきなのかな?そんな感じです。
最初の方で、神の存在とか思いっきり否定しましたが、宗教を信じる信じないもまた個人の自由。信じているという人を批判するつもりなんて毛頭ありません。ただ、俺は信じて無くて、その理由はこういうことだよ・・というのを書いただけです。