エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

利用しているのか、されているのか

2007-10-01 | 「生き方」「在り方」みたいなもの
今日から緊急地震警報(名称これで合ってたかな?)がスタート。
で、その関連のニュースで、上手く機能せずに警報がされなかったとか言うのを取り上げて、問題視してるのがありました。

…確かに、確実で正確であることに越したことはないし、その方がいい。
でも、この件に限った事じゃ無いけど、そこまで依存し過ぎるのもどうなんだ?と俺なんかは思います。

日本人がそうなのか、どこの国でもそうなのか分からないけど、こういうのが出来るとそれに依存し過ぎに感じます。
これはあくまで、地震に対応する為の補助装置であって、天災はいつ、どんな形で起こるか分からないからこそ、日頃からの備えや訓練が大切であって、警報が鳴ったから、鳴らないからと言うのを、一番の判断基準にするのは、根本的におかしいんじゃないかと思いました。

このシステム、無いよりはあった方が絶対便利で役に立ちます。「無し」に比べたら確実に+です。
まず、そこをしっかり自覚するべきかと。
俺は何年後かにきっと「警報鳴らず、逃げおくれ怪我」とか、そういうのが必ずあるんだろうなあと思ってます。
もともと無しだった状態よりあるだけ+なハズが、逆に「警報のせいで」となる現象。
今のうちに言っておきます「いや待て!警報のせいにするなよな。本来は自分自身で判断すべき事だ。」と。

果たして、俺らはシステムを利用しているのか、システムに利用されているのか。って事です。
俺は「利用する」側でいたいです。