うにゃお。
6月23日は庚申日、今年三度目の庚申なので三庚と言うらしい
のですよね。えー、庚申というのが何かまずご説明いたします。

今回は説明用資料といたしまして、『口遊(くちずさみ)』を用意しました。
多分、読んだこと無い方多いでしょう。というより、知らないとか。普通です。
平安時代の天禄元(970)年に書かれた、子供用の初等学習書なのです。
それも、貴族用の。
いろんな読み方ができます。
なぜこの本を用いるか。
手に入らないんですね。
入手しておいてよかった、飼主。
九九なんてものも平安時代に遡ることが分かるわけです。
この本に当時の習俗についても、基礎知識の紹介という形で出てくる。
そのひとつに「庚申」があるのです。

「庚申」と書いて、こうしん、かのえさる、であります。
平安時代にはこの日に「守庚申」と言って、「夜もすがらいねずして」(『簾中抄』)
徹夜して何だか唱える呪文がある。庚申の夜には人が寝入った頃に、三尸虫というのが
身体の中で動き出して、天に昇るのであります。この虫は人の頭部と腹部と下半身に
一匹ずつおりまして、全部で三匹おる。合わせて三尸虫と言う。頭に居るのが人らしい
姿をした虫、腹には獣じみた虫がおり、下半身にはバケモノの形の虫が宿っている。

三尸に宿られておらぬという人はない。なぜなら、こやつらはすべてスパイであって
それぞれの中枢にあって宿った人の言行というのを逐一記録して、これを天帝に報告
するのが役割なわけであるから。ところで、天帝などというのが出てくるあたり、守
庚申というのは、どうやら神道でも仏教でも無く、道教の信仰から来ていると知れる。
天網恢々などとは言うが、なんのことはない間者のようなものを使っているのだ。
これは欺かずんばなるまい。というわけで、守庚申をやるのです。

この日、庚申の日に三尸虫らが人を離れるので、徹夜してやれば三尸も出ては行けまい
という理屈。ところで、何処の誰が三尸虫が人から庚申の夜に出ていくのを見たのか、
あるいは知ったのか、この辺の記録を見たことが無い。庚申灯なんてものや庚申堂だと
か、さるぼぼなんて見たりするが、徹夜までして平安の人たちは一体何をし続けておった
のか。これが呪(まじな)いなのである。まあ猿は分かる。庚申(かのえさる)だから
なんだろう。三尸にあるいは「三猿」の影響もあるかも知れない。三猿のモチーフの方が
ずっと古いのです。

『口遊』には、この夜唱える呪文が書いてある。
「彭侯子、彭常子、命児子、悉く窈眞の中に入り、我が身を去り離れよ」(『口遊』)
三尸の名前を一つずつ呼ぶのです。どうも一晩中こんなのを唱えておるらしい。
典籍の由来は悪名高い『抱朴子』なので、平安貴族も随分江南のファンタジーに
踊ったらしい。ところで、呪文の「窈眞」とはこれら寄生虫どもの故郷の名で
あるようだ。天帝の計らいだかなんだか知れぬが、虫どものすだく異界からセット
にして人を中間宿主にしてくれる有難い役人でも居るものと知れる。

そうしたわけで、明日の夜は庚申であります。
暦の読み方とマジナイだらけの平安貴族の生活がよく分かる。
儀礼と呪術と御霊避けのの日々。これは楽しいに違いありません。
レウコクロリディウムに神経を占領されたカタツムリの仲間みたいに身体から
虫どもを放出するのが嫌なお方は、上の呪文でも唱えながら朝まで過ごして
みるのもよろしいのではないかというお話でございます。
