先週、愛知県瀬戸市「岩屋堂公園」に紅葉を見に行った帰り、
愛知万博の関連事業として昨年オープンした瀬戸市の観光ミュージアム「瀬戸蔵」(せとぐら)に寄ってきました。
そこに、これがあると、最近になって知ったからです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/90/ead1a1906debb0b6dc399882a3dec14e.jpg)
名古屋市「堀川」~瀬戸市「尾張瀬戸」間を走っていた頃の、愛称「瀬戸電」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_blue.gif)
1905年 瀬戸自動鉄道として開業。客車に蒸気機関を内蔵した「蒸気動車」を「瀬戸」~「矢田」間で運転。
1906年 瀬戸電気鉄道に社名を変更。「矢田」~「大曽根」間が開通。
1907年 電化して電車の運転を開始。
1911年 「大曽根」~「土居下」間、「土居下」~「堀川」間が開通し全通。
1939年 名古屋鉄道(名鉄)が瀬戸電気鉄道を合併。
――という歴史を当時知っていたわけではありませんが、
小学時代、学校の近くにあった「大津町」駅から「土居下」駅までのたった1区間を、
かえって遠回りになるにもかかわらず、
貯めていた小遣いをはたいて時々、この電車に乗っていた懐かしい記憶があるからです。
小学生の1区間の運賃が「5円」だった時代の話です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_blue.gif)
展示されていたのは、本物の車両を半分切断したようですが、
車内は、昔のままです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b8/470300b578cda44ed696398394ab6bba.jpg)
今でもはっきり覚えている特徴は、
乗降口の扉が――、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/1e/c21867600cc1743075bfadbbbb13d4f5.jpg)
分かりますか?
「手動」だったことです。
最後に乗った乗客が扉を閉め、鍵を掛けます。
その「重大任務」を自分が担いたくて、
みんなが乗り終わるまで、必ず列の最後に並んで待っていたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_blue.gif)
その後「瀬戸電」は、
1976年 「堀川」~「東大手」間を廃止、「東大手」~「土居下」間を休止。
1978年 「栄町」~「東大手間」の地下新線が開業、名古屋市の地下鉄と相互乗り入れ。
――となり、
私が昔、乗り降りした「大津町」駅も「土居下」駅も、無くなってしまいました。
当時の写真を、ネットで見つけましたので、拝借しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/72/12e0802eb46d25f77dacc0bac0f7cdf8.jpg)
橋の下を走っていることがお分かりいただけると思いますが、
この「瀬戸電」の「堀川」~「土居下」までの3駅間は、
実は名古屋城の、
水を抜いた外堀の「底」を走っていたのです。
なので「瀬戸電」はまた、「お堀電車」とも呼ばれて親しまれていたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_blue.gif)
上の写真付近の現在の様子が、これです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/cc/772a1639e81beaea89803d03bf1c98c9.jpg)
レールが撤去されただけでなく、
「大津町駅」の駅舎の影かたちもありません。
ただ……。
残っているものが、
1つだけあります。
これです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/dd/8ff22a38a2e66f76ab1e73977d6374d5.jpg)
お堀の中の「大津町駅」へ下りて行く階段だけが、
壊されずにまだ残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/09/8a711a136a48d01e32758bf85afed1a5.jpg)
開業以来何百万人、いや、何千万人が踏みしめたかも知れない、駅に通じる階段――私も、その1人だったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_blue.gif)
ええ、
年配者にありがちな感傷だと、
笑っていただいても全然構いません。
そんなふうに言って開き直れるほど、馬齢を重ねてきたのは事実ですから。
ですから、
感傷ついでに、
戯言(ざれごと)をもう一言。
人生を、
敷かれたレール通りに進むのは、
容易ではありませんね、と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_blue.gif)
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愛知万博の関連事業として昨年オープンした瀬戸市の観光ミュージアム「瀬戸蔵」(せとぐら)に寄ってきました。
そこに、これがあると、最近になって知ったからです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/90/ead1a1906debb0b6dc399882a3dec14e.jpg)
名古屋市「堀川」~瀬戸市「尾張瀬戸」間を走っていた頃の、愛称「瀬戸電」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_blue.gif)
1905年 瀬戸自動鉄道として開業。客車に蒸気機関を内蔵した「蒸気動車」を「瀬戸」~「矢田」間で運転。
1906年 瀬戸電気鉄道に社名を変更。「矢田」~「大曽根」間が開通。
1907年 電化して電車の運転を開始。
1911年 「大曽根」~「土居下」間、「土居下」~「堀川」間が開通し全通。
1939年 名古屋鉄道(名鉄)が瀬戸電気鉄道を合併。
――という歴史を当時知っていたわけではありませんが、
小学時代、学校の近くにあった「大津町」駅から「土居下」駅までのたった1区間を、
かえって遠回りになるにもかかわらず、
貯めていた小遣いをはたいて時々、この電車に乗っていた懐かしい記憶があるからです。
小学生の1区間の運賃が「5円」だった時代の話です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_blue.gif)
展示されていたのは、本物の車両を半分切断したようですが、
車内は、昔のままです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b8/470300b578cda44ed696398394ab6bba.jpg)
今でもはっきり覚えている特徴は、
乗降口の扉が――、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/1e/c21867600cc1743075bfadbbbb13d4f5.jpg)
分かりますか?
「手動」だったことです。
最後に乗った乗客が扉を閉め、鍵を掛けます。
その「重大任務」を自分が担いたくて、
みんなが乗り終わるまで、必ず列の最後に並んで待っていたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_blue.gif)
その後「瀬戸電」は、
1976年 「堀川」~「東大手」間を廃止、「東大手」~「土居下」間を休止。
1978年 「栄町」~「東大手間」の地下新線が開業、名古屋市の地下鉄と相互乗り入れ。
――となり、
私が昔、乗り降りした「大津町」駅も「土居下」駅も、無くなってしまいました。
当時の写真を、ネットで見つけましたので、拝借しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/72/12e0802eb46d25f77dacc0bac0f7cdf8.jpg)
橋の下を走っていることがお分かりいただけると思いますが、
この「瀬戸電」の「堀川」~「土居下」までの3駅間は、
実は名古屋城の、
水を抜いた外堀の「底」を走っていたのです。
なので「瀬戸電」はまた、「お堀電車」とも呼ばれて親しまれていたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_blue.gif)
上の写真付近の現在の様子が、これです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/cc/772a1639e81beaea89803d03bf1c98c9.jpg)
レールが撤去されただけでなく、
「大津町駅」の駅舎の影かたちもありません。
ただ……。
残っているものが、
1つだけあります。
これです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/dd/8ff22a38a2e66f76ab1e73977d6374d5.jpg)
お堀の中の「大津町駅」へ下りて行く階段だけが、
壊されずにまだ残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/09/8a711a136a48d01e32758bf85afed1a5.jpg)
開業以来何百万人、いや、何千万人が踏みしめたかも知れない、駅に通じる階段――私も、その1人だったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_blue.gif)
ええ、
年配者にありがちな感傷だと、
笑っていただいても全然構いません。
そんなふうに言って開き直れるほど、馬齢を重ねてきたのは事実ですから。
ですから、
感傷ついでに、
戯言(ざれごと)をもう一言。
人生を、
敷かれたレール通りに進むのは、
容易ではありませんね、と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_blue.gif)
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こんなに豊かで、生活もよくなったのに、昔がよかったと思うのは、一体、何なのでしょうね。
(でも、ネットとブログがある時代で、ありがたいです)
当たり前の事なんですが、uwanosora443のブログを
読ませていただき、そんな風に感じました
生活の中で、便利すぎてかえって不便に感じることも、あったりするんですよね(わかりにくいかしら?)
大変勉強になった内容でした
ありがとうございました
知らない、アタシでさえ、あの残された階段を見て
胸が打たれますもん・・・。
その階段を何度昇り降りしたか…とuwanosora443さんは
ことさら胸にしみるのは当然のことでしょう
重大任務・・もし瀬戸電が今もあったならuwanosora443さんは任務を遂行していたのでしょうか?
だからなんでしょうね、「いいトシをして、子供みたい」と周囲に嘲笑(わら)われるのは。