重低音のBlue Canary

♪ 思いつくままを、つたない文と photo で …

やっと…。

2008-01-22 | つれずれ
懐かしくて、本当は訪ねてみたいのだけど、
他方で、そこにはあまり良くない思い出があるから、
訪れるのを躊躇(ためら)ってしまう……
……そんな場所って、ありませんか?

私には、ありました。

所用で近くまで来た時、
ちょっと寄ってみようかなと、これまで何度も思いながら、
結局決心がつかないまま、もう40年余の歳月が経ってしまった場所。
それがここ、



私の母校である某県立高校の
この講堂です。


その高校に入学する前の、中学3年の学期末、
私の人生では極めて数少ない、とても嬉しい出来事がありました。

中学最後の学力テストで、
成績が、同学年1000余人中の、なんと「まさか」のトップになったことです。
その時点だけを捉えて言えば、中学を「首席」で卒業したことになります。


とはいっても、
実はそんなに大したことではないんですよね。

高校入試の直前というので、誰もが入試に向けた追い込みに全エネルギーを注ぎ込み、
内申書に影響しない学力テストのための勉強などほったらかしていた中で、
どうやら私だけが学力テストに向けた勉強をし、しかもヤマカンが的中したため、
思いのほか好得点を挙げることが出来たという、ただの「偶然」に過ぎなかったのですから。

でも、
とにもかくにも「学年トツプ」だったことで、本人は内心鼻高々でした。
それで図に乗ってしまったのが、いま思うと、つくづく浅はかでした。
というのは――。


志望校に進学した高校1年の、初めての中間テストで、大ショックを受けました。
成績が、クラスでビリから4番目だったからです。

「まさか?」

愕然としました。

でも、今度の「まさか」は「偶然」ではありませんでした。
その次の1学期末のテストでは、
ビリから3番目へと、さらに落ちてしまったんです。

それもまた、当然のことですよね。
高校は義務教育の中学とは違い、
同レベルの学力の生徒があちこちから集まってきたわけですから。

でも、
甘ちゃんの私は、
早くもそこで自信を失い、
挫折しました。

落ちこぼれました。

そして、
お定まりのコースというか、
グレたのです。



以来の私は、
いま振り返ればたぶん私と同じように挫折した落ちこぼれ数人と、
気が付くと徒党を組んでいました。
まさしく「類は友を呼ぶ」です。

授業を抜け出して学校近くの喫茶店にたむろしたり、
タバコを吸い始めたり、
パチンコ屋に出入りしたり、
他校の不良グループと喧嘩したりもしました。

ただし、「硬派」を気取っていましたから、
女は遠ざけ、
また、いまで言う「いじめ」のように、一般の生徒たちに危害を加えるような陰湿な振る舞いだけは、一切しませんでした。


そういう私たちを、学校は、見て見ぬフリをしました。
生活指導の教師に呼ばれたことも、一度もありません。

その某校は、市内でもそこそこの大学進学校でしたから、
学校は大学合格率を挙げるのに必死で、
私たちのような落ちこぼれに構っている余裕などなかったのでしょう。


そんなふうに放任――と言うより、ほったらかされた私たちは、
2年生になるとさらに図に乗り、非公認クラブの「応援団」として、
あることを始めました。

入学してきたばかりの1年生を、講堂に全員集めて行う、
「自主オリエンテーション」と称する校歌や応援歌の斉唱練習です。

壇上で大太鼓を打ち鳴らし、
蛮声を上げ、
竹刀を持って彼らの周りを回りながら、
全員の息が合うまで、何度も、何度も歌わせました。

手こそ挙げませんでしたが、
異様な雰囲気に泣き出す女生徒もいましたし、
「あの時はほんとに怖かった」という声を、あとで後輩たちから聞きました。


いまの時代ではとても許されない、そんなバカげた蛮行をしてしまった私の高校時代の、
いわば「恥」の象徴が、
この講堂です。



     




明治40年、旧制中学として創設され、
同44年に本館とともに建てられたこの講堂は、
昭和45年に鉄筋コンクリート造に全面改築された際も取り壊されずに残され、
現在も食堂として使われているそうです。


たまに前を通り掛かってこの講堂の姿を見るたびに、
当時の自分の不埒で愚かな行動が、恥ずかしいと言うより申し訳なくて、
卒業後、校内に足を踏み入れたことは1度もありませんでした。

去年100周年を迎えて盛大に行われた同窓会にも、
誘われましたが、行きませんでした。


それを先日、近くに出掛けた際、
立ち寄ってみる気になったのは、
そろそろゴールが見え始めた自分の人生の中で、
まだ清算し切れていなかった「恥」の1つに向き合うことで、
身勝手だけど自分なりのケジメを、やっとつける気になったからだと思います。

――などと、
読んで楽しくもない懺悔話を、今日は長々と書き綴ってしまったようです。

これも、
すぎもとまさとの歌「吾亦紅」を、
いまだに聴き続けている影響でしょうか。
ごめんなさい。




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13 コメント

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☆なんと・・ (hirorin)
2008-01-22 23:36:38
波乱万丈な高校生時代ですね
中学でトップ、でも高校はレベルが同じくらいの人ばかりなので
ちょっと気を抜くと、あっという間に転落ですね

でもその後がすごい! 不良のコースを一目散に!
怖そう・・

でもそういう子って、意外と魅力あるのよね、フフ・・

他人の懺悔話はおもしろいですよ
Unknown (yuusuke320)
2008-01-22 23:51:57
 懐かしさ故にか? 写真から「らしさ」が見当たらないように感じるのは我だけでしょうか? それとも無垢の少年(とは言い難い?)のワンショットなのか?  我も高校時代を振り返ってみたくなりました。
Unknown (pa-man31)
2008-01-23 00:25:28
けじめをつけにきた uwanosoraさんを やっと おいでなすったか と、暖かく むかえてくれているような気がします。
高校の建物が 残っているなんて いいなぁ、私の高校は 全て建てかえられ、場所も移りました。
ところで、天気予報だと そちらの地方は 「雨かもしれないけど 雪が混じるかも」でしたよ。もしかしたら…ですね
すごいですねぇ~… (mori-kuma)
2008-01-23 09:09:55
 学校側が、一度も注意をされなかったのは
やはり『無意味な喧嘩』がなかったからじゃないです?

 青春されてたんですねぇ
 でも、悪い事をその頃されてたなら、
自分のお子が、思春期なったときに気持ちを
理解してあげやすいんではないですか?

 大人になって、グレられるより、加減が分かった
大人になれてよかったのでは?と、アタシは思いますけれど・・・
栄光は一瞬 (真・善・美)
2008-01-23 13:52:11
 
 先日、仏壇の引き出しを整理していましたら
 小学校の通信簿が出てきました。
 何と6年生1年間の成績がオール5(体育が4)で
 我ながら吃驚でした。栄光の一瞬ですね。
 UWANOSORA443さんに張り合って ちょっと自慢して
 みました。「神童も 二十歳を待たず ただの人」

 中学・高校のものは見つかりませんでしたので
 母親が気を使って 残さなかったのでしょう。
Unknown (Unknown)
2008-01-23 19:23:28
小学校では、グループトップ。私立中学はいあったら、中間。都立の高校では、はじめよく、あとがジリ貧。
似たような悲哀を感じました。

>いまで言う「いじめ」のように、一般の生徒たちに危害を加えるような陰湿な振る舞いだけは、一切しませんでした。
そこが、今と昔の大きな違いだと思いますね。

前のコメントは (kawa)
2008-01-23 19:24:14
私、kawaです。
波乱万丈… (hirorinさんへ)
2008-01-23 22:31:02
と言うよりは、ともかく荒(すさ)んだ3年間ではありました。
でも、すべては自業自得です。
>「らしさ」 (yuusuke320さんへ)
2008-01-23 22:36:38
言われて、気付きました。
いま思えば、この講堂に向かってシャッターを切っている時、何かを考える心の余裕をまったく失っていました。
鋭いご指摘、深謝します。
>やっと… (pa-man31さんへ)
2008-01-23 22:40:55
>やっと おいでなすったか……
暖かくではなかったでしょうが、そう言われたような気もします。
ともかくも、まだ取り壊されずにいてくれて、ホッとしています。でなければ、けじめをつけられないまま人生を終わることになっていたでしょうから。

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