今朝も出勤前、名城公園に車を止め、デジカメ片手に散歩してきました。
今年のソメイヨシノは、満開になってから散るまでの期間が例年より長かったらしく、いまもまだ散り際の美しさで目を楽しませてくれていますが、代わって、数日前から満開を迎えているのは、枝垂桜です。
名古屋近郊で見かける枝垂桜の多くは、ソメイヨシノより一足先に咲き終わっています。
しかし名城公園のそれは、いつもソメイヨシノが散り始めるこの時期に咲くるのだと、犬の散歩がてら見に来ていた、近所に住むというオジサンが教えてくれました。
それにしても、きれいですね。
花々が次々に咲き乱れる春は、好きです。
ただ……。
下手な横好きで写したデジカメ写真を、こうしてブログにアップしながら、悩んじゃうんですよね。
こんなふうに「色補正」した写真を載せて、いいのかなあ、って。
実は、撮った写真を、そのままではなく、レタッチソフトで若干補正して載せています。
そうしないと、色がくすんでいて、見映えがあまり良くないからです。
「記憶色」「期待色」という言葉を、写真好きの方ならご存知だと思います。
私たちが見ている「自然」の色彩――花の色や木の葉の色や空の色は、本当はそれほどはっきりした、鮮やかな色で彩られているわけではありません。
にもかかわらず人間は、例えば桜は桜色、若葉は緑、空は青、夕焼けは黄金色…というように、それぞれについてかなりはっきりした色を、イメージ情報として脳にインプットしています。
しかも、美しい花や風景を見た時は、「感動」という「主観」をも一緒に記憶にとどめますから、余計、実際より鮮やか、というより派手な色を、脳に記憶する傾向があるのだそうです。それが「記憶色」です。
一方「期待色」というのは、分かりやすいが女性の肌の色です。
人間の肌の色は、本当はかなり土色で、くすんでもいるものなんですが、そのままでは不健康に見えたり、美しくありませんから、「こうだったらいいなあ」と思う、実際よりも薄く透明感のある色を、脳の中にイメージしています。それが「期待色」です。
実は、カメラのフィルムもデジカメもテレビのモニターも、レンズを通して得た本物の色彩を、そうした人間の「記憶色」「期待色」に合うように、フィルムなら化学的に、デジカメやテレビなら科学的に色補正処理したうえで、私たちに届けているんですね。
「より鮮明な色彩表現を実現してお届けします!」――とは、デジカメやテレビモニターの新製品発売などでよく使われる宣伝文句ですが、言い換えれば「より非現実的な色彩表現を実現し…」ということでしょうか。
そんな時代ですから、たかがブログに載せる写真を多少調整するぐらい大したことじゃないさ――とは思うものの、やはり何か後ろめたくって……。
「記憶色」も「期待色」も、たぶん、ほかの動物や昆虫は持っていない感覚なんでしょうね、よくは知りませんが。
だとすれば「記憶色」や「期待色」は、汚いものから目を逸らすばかりでなく、実際よりも美しく見たいと考える、欲張りで身勝手な人間の深層心理を映し出している、とも言えるのでしょうか……。
△名城公園では、ソメイヨシノが今日も、美しく花を散らしていました。
今年のソメイヨシノは、満開になってから散るまでの期間が例年より長かったらしく、いまもまだ散り際の美しさで目を楽しませてくれていますが、代わって、数日前から満開を迎えているのは、枝垂桜です。
名古屋近郊で見かける枝垂桜の多くは、ソメイヨシノより一足先に咲き終わっています。
しかし名城公園のそれは、いつもソメイヨシノが散り始めるこの時期に咲くるのだと、犬の散歩がてら見に来ていた、近所に住むというオジサンが教えてくれました。
それにしても、きれいですね。
花々が次々に咲き乱れる春は、好きです。
ただ……。
下手な横好きで写したデジカメ写真を、こうしてブログにアップしながら、悩んじゃうんですよね。
こんなふうに「色補正」した写真を載せて、いいのかなあ、って。
実は、撮った写真を、そのままではなく、レタッチソフトで若干補正して載せています。
そうしないと、色がくすんでいて、見映えがあまり良くないからです。
「記憶色」「期待色」という言葉を、写真好きの方ならご存知だと思います。
私たちが見ている「自然」の色彩――花の色や木の葉の色や空の色は、本当はそれほどはっきりした、鮮やかな色で彩られているわけではありません。
にもかかわらず人間は、例えば桜は桜色、若葉は緑、空は青、夕焼けは黄金色…というように、それぞれについてかなりはっきりした色を、イメージ情報として脳にインプットしています。
しかも、美しい花や風景を見た時は、「感動」という「主観」をも一緒に記憶にとどめますから、余計、実際より鮮やか、というより派手な色を、脳に記憶する傾向があるのだそうです。それが「記憶色」です。
一方「期待色」というのは、分かりやすいが女性の肌の色です。
人間の肌の色は、本当はかなり土色で、くすんでもいるものなんですが、そのままでは不健康に見えたり、美しくありませんから、「こうだったらいいなあ」と思う、実際よりも薄く透明感のある色を、脳の中にイメージしています。それが「期待色」です。
実は、カメラのフィルムもデジカメもテレビのモニターも、レンズを通して得た本物の色彩を、そうした人間の「記憶色」「期待色」に合うように、フィルムなら化学的に、デジカメやテレビなら科学的に色補正処理したうえで、私たちに届けているんですね。
「より鮮明な色彩表現を実現してお届けします!」――とは、デジカメやテレビモニターの新製品発売などでよく使われる宣伝文句ですが、言い換えれば「より非現実的な色彩表現を実現し…」ということでしょうか。
そんな時代ですから、たかがブログに載せる写真を多少調整するぐらい大したことじゃないさ――とは思うものの、やはり何か後ろめたくって……。
「記憶色」も「期待色」も、たぶん、ほかの動物や昆虫は持っていない感覚なんでしょうね、よくは知りませんが。
だとすれば「記憶色」や「期待色」は、汚いものから目を逸らすばかりでなく、実際よりも美しく見たいと考える、欲張りで身勝手な人間の深層心理を映し出している、とも言えるのでしょうか……。
△名城公園では、ソメイヨシノが今日も、美しく花を散らしていました。
いくつか読ませていただきました。
「色補正」、私もやっています。ちょっと、罪悪感は感じますが、きれいでないと、見てもらえないですからね。出品するわけでなし、自分が楽しめればいいと割り切っています。
これからもよろしくお付き合いください。