映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
【映画】ひめゆり
2006年日本 監督 柴田昌平 2h11 ドキュメンタリー カラー
鑑賞 @第七芸術劇場
「ひめゆり隊」とは、第二次大戦末期の1945年3月-6月に、日本で唯一住民を巻き込んだアメリカ軍との地上戦の行われた沖縄で、看護婦として戦場に動員され、半数以上が悲惨な最期をとげた県立第一高等女学校と女子師範学校の生徒たち(15歳~19歳)の学徒隊の愛称である。このテーマの映画はこれまで3回か4回作られているが(下記参照)いづれも劇映画である。今回の「ひめゆり」は、生き残りの女性達(今は80歳、当時60代後半)の一人ひとりの、その惨劇の現場に行っての証言である。批判的言辞はほとんどなく、あくまで事実が淡々と語られるのみ。
見終わって思ったのは、はじめの3作は、基本的にロマンティックな創作であったということ。人気女優を登用して、可憐で健気な少女たちの祖国に殉じるさまを描いたもので、「気持ちよく泣ける」「悲しくて美しい」映画だったということだ。4作目は見ていないが、かなり事実に即していて、地元の中学などで教材として使っているらしい。もちろんいずれの作品も、沖縄戦とひめゆり部隊の存在を世に広く知らせた功績はある。
わたしも3、4年前に初めて沖縄に行って、南部戦跡を訪れ、病院に用いられた地下壕とかたわらの「ひめゆりの塔」資料館の少女等の肖像や遺品を見て、映画から受けた印象とは何かが違うと感じた。また、たまたま散歩中、那覇市の松山公園で県立第二高等女学校の「白梅学徒隊」の記念碑を発見して、ひめゆり隊の他にも喧伝されない犠牲者は数多くあったろうと想像した。
パンフレットによると、戦後50年たって、60代後半になった彼女等が、それまでは「自分だけ生き延びて、死んだ人たちに申し訳ない」あるいは「思い出すさえつらい」と言う気持ちから胸の内に秘めてきた戦争体験を、このままでは事実が無かったかのように忘れ去られると言う危機感から、語って残しておきたいと思い始め、そこに、柴田氏が起用されたと言うことで、彼女等の自発的な意志の結果がこの映画になったのである。それから十数年を経て、完成した。22名から得た証言は100時間以上になった。
7月21日、関西上映の第1日2回目を見た。
それまでの映画を見るたびに「落胆、憤慨」したと、生存者のひとり、本村つるさんはパンフレットで述べている。
この映画には二つの側面がある。一つは、沖縄戦の個々の事実、日本人の戦場でのふるまいなどを、後世と外部に伝えること。もう一つは、出演した女性たち自身が、言語を絶する体験を言葉にすることで生じた、セルフ・カウンセリングの効用。
「監督」(ではないと自称する)柴田氏43歳は、大学を出てNHKに入社、初任地が沖縄だった。全くの無知で、沖縄戦の番組制作上で失敗して「お詫び行脚」などもした挙句、NHKを退社したとのこと。感受性の強い20代前半に沖縄に行き、おばぁたちに鍛えられた結果がこの作品につながったようである。東大からNHKとは、まさにエリートの経歴で、反感を招きそうだが、修業が効いた為か、もとそういう性格なのか、好感度は高く、上映後の懇談会には、中高年に混じってかなりの数の10~20代の姿が見られた。
証言を文字に起こす作業の間、戦争の夢に悩まされたそうだ。生き残りの女性の中には未だに悪夢に悩んでいる(特に沖縄戦のあった3~6月の間)人もいるとか。
これは、カタルシスになるような、気持ちよい涙を流させるような映画ではない。強制収容所を生き延びたユダヤ人の証言に通じるものがある。単なる身体的物理的苦痛ではなく、極限状況の中で、感受性の麻痺してゆくことの恐怖である。ある証言によると、死者を葬るのに、はじめの時は涙にくれたが、わずか一週間で慣れてしまう。外科手術で切除した部位を捨てに行く途中、出会った軍曹に「何しているんだ」「切った腕を捨てに行くところです」「お前、すごい女だな」と言われて、ハッとしたという。(16歳くらいの少女等にこんな仕事を押し付けておいて、「すごい女だな」とは何ごとか。当時の下士官にはそれ位無責任で能天気なのがいたのか)
映画を見て私たちの受ける苦痛は、実際に彼女等がなめた苦痛の何分の一に当たるか分からないが、それくらいの代価は払ったとしても、罰は当たるまい。
ポスターの、海と空の間に、背を見せて立つ女学生。マーラーの交響曲第5番が流れ、私たちをはるか彼方に運んでくれるが、この女学生は、映画には一度も顔を出さない。死んで永遠に年をとらない、沖縄の女学生たちの象徴であろうか。
※十三駅3分 第七芸術劇場で上映中(東京でも8月4日よりリバイバル上映)
7/21-8/10 11:30/14:00
8/11-8/17 10:40/18:30
~~~~~これまでに作られた「ひめゆりの塔」~~~~~
監督(脚色/原作)
1953東映 「ひめゆりの塔」 今井正(水木洋子) 香川京子 津島恵子
1968日活 「ああひめゆりの塔」 舛田利雄 吉永小百合 和泉雅子
1982芸苑社「ひめゆりの塔」 今井正(水木洋子) 栗原小巻 古手川祐子
1995東宝 「ひめゆりの塔」 神山征二郎(中曽根政善)沢口靖子 後藤久美子
鑑賞 @第七芸術劇場
「ひめゆり隊」とは、第二次大戦末期の1945年3月-6月に、日本で唯一住民を巻き込んだアメリカ軍との地上戦の行われた沖縄で、看護婦として戦場に動員され、半数以上が悲惨な最期をとげた県立第一高等女学校と女子師範学校の生徒たち(15歳~19歳)の学徒隊の愛称である。このテーマの映画はこれまで3回か4回作られているが(下記参照)いづれも劇映画である。今回の「ひめゆり」は、生き残りの女性達(今は80歳、当時60代後半)の一人ひとりの、その惨劇の現場に行っての証言である。批判的言辞はほとんどなく、あくまで事実が淡々と語られるのみ。
見終わって思ったのは、はじめの3作は、基本的にロマンティックな創作であったということ。人気女優を登用して、可憐で健気な少女たちの祖国に殉じるさまを描いたもので、「気持ちよく泣ける」「悲しくて美しい」映画だったということだ。4作目は見ていないが、かなり事実に即していて、地元の中学などで教材として使っているらしい。もちろんいずれの作品も、沖縄戦とひめゆり部隊の存在を世に広く知らせた功績はある。
わたしも3、4年前に初めて沖縄に行って、南部戦跡を訪れ、病院に用いられた地下壕とかたわらの「ひめゆりの塔」資料館の少女等の肖像や遺品を見て、映画から受けた印象とは何かが違うと感じた。また、たまたま散歩中、那覇市の松山公園で県立第二高等女学校の「白梅学徒隊」の記念碑を発見して、ひめゆり隊の他にも喧伝されない犠牲者は数多くあったろうと想像した。
パンフレットによると、戦後50年たって、60代後半になった彼女等が、それまでは「自分だけ生き延びて、死んだ人たちに申し訳ない」あるいは「思い出すさえつらい」と言う気持ちから胸の内に秘めてきた戦争体験を、このままでは事実が無かったかのように忘れ去られると言う危機感から、語って残しておきたいと思い始め、そこに、柴田氏が起用されたと言うことで、彼女等の自発的な意志の結果がこの映画になったのである。それから十数年を経て、完成した。22名から得た証言は100時間以上になった。
7月21日、関西上映の第1日2回目を見た。
それまでの映画を見るたびに「落胆、憤慨」したと、生存者のひとり、本村つるさんはパンフレットで述べている。
この映画には二つの側面がある。一つは、沖縄戦の個々の事実、日本人の戦場でのふるまいなどを、後世と外部に伝えること。もう一つは、出演した女性たち自身が、言語を絶する体験を言葉にすることで生じた、セルフ・カウンセリングの効用。
「監督」(ではないと自称する)柴田氏43歳は、大学を出てNHKに入社、初任地が沖縄だった。全くの無知で、沖縄戦の番組制作上で失敗して「お詫び行脚」などもした挙句、NHKを退社したとのこと。感受性の強い20代前半に沖縄に行き、おばぁたちに鍛えられた結果がこの作品につながったようである。東大からNHKとは、まさにエリートの経歴で、反感を招きそうだが、修業が効いた為か、もとそういう性格なのか、好感度は高く、上映後の懇談会には、中高年に混じってかなりの数の10~20代の姿が見られた。
証言を文字に起こす作業の間、戦争の夢に悩まされたそうだ。生き残りの女性の中には未だに悪夢に悩んでいる(特に沖縄戦のあった3~6月の間)人もいるとか。
これは、カタルシスになるような、気持ちよい涙を流させるような映画ではない。強制収容所を生き延びたユダヤ人の証言に通じるものがある。単なる身体的物理的苦痛ではなく、極限状況の中で、感受性の麻痺してゆくことの恐怖である。ある証言によると、死者を葬るのに、はじめの時は涙にくれたが、わずか一週間で慣れてしまう。外科手術で切除した部位を捨てに行く途中、出会った軍曹に「何しているんだ」「切った腕を捨てに行くところです」「お前、すごい女だな」と言われて、ハッとしたという。(16歳くらいの少女等にこんな仕事を押し付けておいて、「すごい女だな」とは何ごとか。当時の下士官にはそれ位無責任で能天気なのがいたのか)
映画を見て私たちの受ける苦痛は、実際に彼女等がなめた苦痛の何分の一に当たるか分からないが、それくらいの代価は払ったとしても、罰は当たるまい。
ポスターの、海と空の間に、背を見せて立つ女学生。マーラーの交響曲第5番が流れ、私たちをはるか彼方に運んでくれるが、この女学生は、映画には一度も顔を出さない。死んで永遠に年をとらない、沖縄の女学生たちの象徴であろうか。
※十三駅3分 第七芸術劇場で上映中(東京でも8月4日よりリバイバル上映)
7/21-8/10 11:30/14:00
8/11-8/17 10:40/18:30
~~~~~これまでに作られた「ひめゆりの塔」~~~~~
監督(脚色/原作)
1953東映 「ひめゆりの塔」 今井正(水木洋子) 香川京子 津島恵子
1968日活 「ああひめゆりの塔」 舛田利雄 吉永小百合 和泉雅子
1982芸苑社「ひめゆりの塔」 今井正(水木洋子) 栗原小巻 古手川祐子
1995東宝 「ひめゆりの塔」 神山征二郎(中曽根政善)沢口靖子 後藤久美子
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
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戦争関連の映画は、視覚のインパクトで訴えかけるフィクションよりも、インタビュー主体のドキュメントのほうが、説得力をもつような気がします。映画が完成する前に証言者の3名がお亡くなりになったとのこと、国内では戦争を体験した世代が確実に減っていく中で、非常に貴重な映像資料だったと思います。
以前に読んだ小熊英二さんの著書によると、戦中の沖縄では、意識して「日本人らしく」ふるまうことが(本土よりも低く見られていた)自分たちの地位向上になると考えていた人も多かったらしいです。本作を見ながら、ひめゆりの少女たちにもそういう心情が少なからずあったのでは、と思いました。映画『ひめゆりの塔』はいずれも未見ですが、彼女たちのそんなメンタリティが「可憐で健気な少女たち」のイメージ作りとして利用されてしまったのではないか、そんなことをふと考えました。
川本さん、もう一度いらっしゃいませ!そう、8月といえば、2回の原爆、樺太のソ連参戦(教室の河田さん)、それに、光工廠での14日の爆撃(同じく田口さん)と色々なことが想起されます。やせっぽちな私も、すでに同じ空気を吸っていたので共感が・・・