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「忠臣蔵」を見たかったころ


1958年12月、中学2年、14歳のわたしは正月映画の「忠臣蔵」が見たくてたまらない、でも私の学校では、文部省選定・推薦映画以外は禁止だ。うっかり見に行って、補導員に見つかると、一学年9クラス、400~500名の前に引き出されて説教されるのである。そんな思いはしたくないし、でも映画はどうしても見たいので、母に(なぜ母に?)不平を言った。「映画を見る力は人ぞれぞれなのに全員を一律の規準で縛るのは愚だ」と。母も私も、隠れてコソコソすることが大嫌いで、何事も正々堂々と行おうという性格だったので、それならと、母が校長先生に許可をもらいに行った。小柄で温和なY校長はどう思ったか、お許しが出て、母とともに晴れて見に行った、そんな記憶がある。

しかし「忠臣蔵」をそれほど見たかったのはなぜか、といまの私は首をかしげる。思い当ることは、まず矢頭右衛門七を梅若正二が演じたことと、豪華な出演者をこれでもかと事前に宣伝され、フラフラとなったのかも知れない。その顔ぶれは

    長谷川一夫(大石内蔵助)
    市川雷蔵(浅野内匠頭)
    鶴田浩二(岡野金右衛門)
    勝新太郎(赤垣源蔵)
    川口 浩(大石主税)
    梅若正二(矢頭右衛門七)
    黒川弥太郎(多門伝八郎)
    菅原謙二(脇坂淡路守)
    根上 淳(土屋相模守)
    香川良介(片岡源吾衛門)
    林 成年(堀部安兵衛)
    川崎敬三(勝田新左衛門)
    品川隆二(大高源吾)
    京 マチ子(女間者おるい)
    若尾文子(大工の娘お鈴)
    山本富士子(瑶泉院)
    淡島千景(大石の妻りく)
    小暮実千代(浮橋太夫)
    東山千栄子(大石の母おたか)
    三益愛子(戸田局)
    志村 喬(大竹重兵衛)
    見明凡太朗(大工政五郎)
    中村雁治郎(垣見五郎兵衛)
    小沢栄太郎(千坂兵部)
    田崎 潤(清水一角)
    船越英ニ(上杉綱憲)
    滝沢 修(吉良上野介)
    他オールスター

である。

私は本来、忠臣蔵のような日本的価値観に抵抗することを生きがいにしてきたのであるが、この映画を夢中で見たがったこのころは、まだまだ物心つかない子どもだったというべきだろう。母とも仲良く共闘を組んでいるし。

→「赤穂義士伝輪読会」17-12-14
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