映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
曽野綾子
2012年02月01日 / 本
曽野綾子(1931~)
「晩年の美学を求めて」2009年 朝日新聞社
「戒老録」1972年 青春出版社
「夫婦、この不思議な関係」1985年 PHP
の三冊を借りて読んだ。
本の読後感を書くべきだと思うが、その前に彼女自身について言いたいことが溜まっているので、それを述べようと思う。
曽野綾子と言う人は10年か20年に1回くらい読みたくなるが、どちらかというと嫌いな作家に属する。
→私の好きな作家2007-1-3
嫌いと言っても、一概に全部を否定するわけではない。要するに気になる、関心があるということで、心のエネルギーはむしろ好きなことに対してより多く消費されるかも知れない。
デビュー時には、有吉佐和子とともに大宅壮一臼井吉見に「才女時代」到来と言われ、エッセイはたびたびベストセラーになった。60年たった今でも、松江の大きい本屋の棚に、ずらりと並んでいる。
美人だが、ニコリともせず、不機嫌そうに辛口のコメントを並べ、ずけずけと人の耳に逆らうようなことをいうことで、かえって人気を博している。
ご亭主の三浦朱門がまた放言癖があり、「女性を強姦する体力がないのは、男として恥ずべきこと」と、しかも文化庁長官のときに、雑誌に書いている。曽野綾子によると、夫婦で口汚く他人の悪口を言い合う習慣があるそうで、ついその癖が出てしまったのかも知れない。
最近分ったのは、曽野綾子が、幼稚園から大学まで聖心だったこと、ずっと両親の不仲に悩み、母親のようになるまいと若くして作家として自立したことだ。彼女がつねに旺盛な執筆活動を行うのは、「経済的な自立」への強迫観念か。30代で自分のお金で、60代初めの母親を離婚させ、同じ敷地に住まわせたとか。立派である!
余談だが、彼女の「ボクは猫よ」は、なんとも嫌な語感のタイトルである。彼女は日頃エラそうな「である」を好んで使うのに、この舌足らずな語を使ったのはなぜか。多分「吾輩は猫である」に対してさすがに使い慣れた「である」はぶつけられなかったのだろうか。へなへなと腰砕けになって、いっぺんに退行現象を起こし、幼児のように甘えたいという内心の衝動に身を任せたのかも知れない。
彼女が自分の出身大学(美智子妃の出身校)聖心について、人のいうほどのものではないが、「さすがに垢だらけのブラウスでも平気だという猛女(もさ)がいないのは助かった」と言っていた。クリスチャンらしくもない荒々しい口調で、ひょっとするとこれは三浦朱門の受け売りか、あるいは、曽野綾子には太刀打ちできないほど優れた頭脳と才能を持つ実在の女性へのやっかみかとも思える。東京で生まれ育ってエスカレーター式にお嬢様学校を卒業した女性が、狭い集団の価値観で律しきれないよそ者を裁くのに使いそうである。女子校内の陰湿な集団いじめの実態を垣間見せる発言ではなかろうか。多分、これで私は彼女を決定的に嫌いになったのではないかと思う。
彼女はその後、中東やアフリカの僻地に旅し、砂漠を何週間も車で走り、その間顔も洗わず、歯磨きもせず、着替えもせず、と言う経験もしたのは、「お嬢様育ち」コンプレックスからではないか。(乾燥した気候なので、ブラウスが垢だらけにはならなかったようだ)
37歳のとき、当時の女性の平均寿命74歳の半分になったからと「戒老録」を書いたりしたのは、86歳まで伸びた今日の感覚から言うと早とちり以外の何ものでもない。
「自分を戒める」振りをしながら何かにつけて読者に説教をたれるのは20年近くカトリック学校で説教ばかり食っていたあいだに、自分もいつか人に説教をして見たいと言う欲求が徐々に高まっていったのかもしれない。一度爆発すると、それ以来、マグマの流出は止まることがなかったようだ。
旧約聖書の神は「怒る神」、新約聖書の神は「愛の神」と言われるが、カトリックの彼女は愛と言うことに疎いようだ。子供のことを語らせると、さすがに珍しく甘さを感じさせて、こちらとしてはほっとするのだが。「誰のために愛するか」(1970)がベストセラーになったころ、25歳の私も読んだが、女は男に劣るなどと、今日では通用しない女性蔑視発言にあふれていて、生い立ちの影響か、夫の影響か、カトリック教育の成果かと思うのだが、面白くもないし感動などまったくなく「大して得るところはなかった」と感想を言ったら「そろそろOO子も自分で書けばどうだ」と父に言われ、意外な反応に慌てたのを憶えている。曽野綾子が生活の中で愛を実践していたら、そういう本を書くこともなかったろう。そしてご亭主が「強姦」発言を公の場ですることもなかったのではないか。
ベストセラーになるような本を書く秘訣は、彼女に学べばいいだろうが、こんな文章を有難がるような日本人の民度はあまり高いとは思えない。
さて、以上のべた嫌な点を共有している女性に一人、思い当りがある。それはほかならぬ私自身である。たとえば辛口コメント、説教好き、「である」調、育ちへのコンプレックス、途上国行き、など。愛を実践していない証拠に「愛は意志である」と言う文も書いている。(→2011-2-21)また「人生の残り時間」を気にしている私が「戒老録」を笑うのもおこがましい事かも。結局は、自分の欠点を鏡に写したように見せられるから、嫌いなのであろう。私が曽野綾子と異なる点は美人ではなく、「垢だらけのブラウス」云々と、「身だしなみ」より内面を重視の人を馬鹿にしたりはしないこと、第一、金儲けの才覚がないことだ。さて彼女はいまや80代で本物の老年に直面し、「人のために死ねるか」はさほど大事なことではなく、人はただ生きていることで値打ちがあると思うのか。それとも、いまも39歳当時のまま、愛する人のために死んでもいいと言うのだろうか。
「誰のために愛するか」1976青春新書(初出は1970青春出版社)
「晩年の美学を求めて」2009年 朝日新聞社
「戒老録」1972年 青春出版社
「夫婦、この不思議な関係」1985年 PHP
の三冊を借りて読んだ。
本の読後感を書くべきだと思うが、その前に彼女自身について言いたいことが溜まっているので、それを述べようと思う。
曽野綾子と言う人は10年か20年に1回くらい読みたくなるが、どちらかというと嫌いな作家に属する。
→私の好きな作家2007-1-3
嫌いと言っても、一概に全部を否定するわけではない。要するに気になる、関心があるということで、心のエネルギーはむしろ好きなことに対してより多く消費されるかも知れない。
デビュー時には、有吉佐和子とともに
美人だが、ニコリともせず、不機嫌そうに辛口のコメントを並べ、ずけずけと人の耳に逆らうようなことをいうことで、かえって人気を博している。
ご亭主の三浦朱門がまた放言癖があり、「女性を強姦する体力がないのは、男として恥ずべきこと」と、しかも文化庁長官のときに、雑誌に書いている。曽野綾子によると、夫婦で口汚く他人の悪口を言い合う習慣があるそうで、ついその癖が出てしまったのかも知れない。
最近分ったのは、曽野綾子が、幼稚園から大学まで聖心だったこと、ずっと両親の不仲に悩み、母親のようになるまいと若くして作家として自立したことだ。彼女がつねに旺盛な執筆活動を行うのは、「経済的な自立」への強迫観念か。30代で自分のお金で、60代初めの母親を離婚させ、同じ敷地に住まわせたとか。立派である!
余談だが、彼女の「ボクは猫よ」は、なんとも嫌な語感のタイトルである。彼女は日頃エラそうな「である」を好んで使うのに、この舌足らずな語を使ったのはなぜか。多分「吾輩は猫である」に対してさすがに使い慣れた「である」はぶつけられなかったのだろうか。へなへなと腰砕けになって、いっぺんに退行現象を起こし、幼児のように甘えたいという内心の衝動に身を任せたのかも知れない。
彼女が自分の出身大学(美智子妃の出身校)聖心について、人のいうほどのものではないが、「さすがに垢だらけのブラウスでも平気だという猛女(もさ)がいないのは助かった」と言っていた。クリスチャンらしくもない荒々しい口調で、ひょっとするとこれは三浦朱門の受け売りか、あるいは、曽野綾子には太刀打ちできないほど優れた頭脳と才能を持つ実在の女性へのやっかみかとも思える。東京で生まれ育ってエスカレーター式にお嬢様学校を卒業した女性が、狭い集団の価値観で律しきれないよそ者を裁くのに使いそうである。女子校内の陰湿な集団いじめの実態を垣間見せる発言ではなかろうか。多分、これで私は彼女を決定的に嫌いになったのではないかと思う。
彼女はその後、中東やアフリカの僻地に旅し、砂漠を何週間も車で走り、その間顔も洗わず、歯磨きもせず、着替えもせず、と言う経験もしたのは、「お嬢様育ち」コンプレックスからではないか。(乾燥した気候なので、ブラウスが垢だらけにはならなかったようだ)
37歳のとき、当時の女性の平均寿命74歳の半分になったからと「戒老録」を書いたりしたのは、86歳まで伸びた今日の感覚から言うと早とちり以外の何ものでもない。
「自分を戒める」振りをしながら何かにつけて読者に説教をたれるのは20年近くカトリック学校で説教ばかり食っていたあいだに、自分もいつか人に説教をして見たいと言う欲求が徐々に高まっていったのかもしれない。一度爆発すると、それ以来、マグマの流出は止まることがなかったようだ。
旧約聖書の神は「怒る神」、新約聖書の神は「愛の神」と言われるが、カトリックの彼女は愛と言うことに疎いようだ。子供のことを語らせると、さすがに珍しく甘さを感じさせて、こちらとしてはほっとするのだが。「誰のために愛するか」(1970)がベストセラーになったころ、25歳の私も読んだが、女は男に劣るなどと、今日では通用しない女性蔑視発言にあふれていて、生い立ちの影響か、夫の影響か、カトリック教育の成果かと思うのだが、面白くもないし感動などまったくなく「大して得るところはなかった」と感想を言ったら「そろそろOO子も自分で書けばどうだ」と父に言われ、意外な反応に慌てたのを憶えている。曽野綾子が生活の中で愛を実践していたら、そういう本を書くこともなかったろう。そしてご亭主が「強姦」発言を公の場ですることもなかったのではないか。
ベストセラーになるような本を書く秘訣は、彼女に学べばいいだろうが、こんな文章を有難がるような日本人の民度はあまり高いとは思えない。
さて、以上のべた嫌な点を共有している女性に一人、思い当りがある。それはほかならぬ私自身である。たとえば辛口コメント、説教好き、「である」調、育ちへのコンプレックス、途上国行き、など。愛を実践していない証拠に「愛は意志である」と言う文も書いている。(→2011-2-21)また「人生の残り時間」を気にしている私が「戒老録」を笑うのもおこがましい事かも。結局は、自分の欠点を鏡に写したように見せられるから、嫌いなのであろう。私が曽野綾子と異なる点は美人ではなく、「垢だらけのブラウス」云々と、「身だしなみ」より内面を重視の人を馬鹿にしたりはしないこと、第一、金儲けの才覚がないことだ。さて彼女はいまや80代で本物の老年に直面し、「人のために死ねるか」はさほど大事なことではなく、人はただ生きていることで値打ちがあると思うのか。それとも、いまも39歳当時のまま、愛する人のために死んでもいいと言うのだろうか。
「誰のために愛するか」1976青春新書(初出は1970青春出版社)
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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曽野綾子女史感に共鳴の余り内心にやっと致しました。
私の思うところを的確に表現なさっており感銘の至りです。年齢も一つお姉様で親近感を覚えます。
文章のお手本になるので以後よろしくお願い致します。
「うた物語」ではいつもお名前を拝見して、ご夫君への思慕の念など率直に書かれ、感じの良い方だと思っていましたが、此方へようこそおいで下さいました。
曽野綾子への感じ方が似ているとのこと、世間では彼女が好きという人が多いようなので(その証拠に本がよく売れていますね)心強いです。彼女の暴言は、どこか話題の米国の政治家を思い出しますよね。大衆迎合主義ではないでしょうか?
「文章のお手本になる」なんて、そこまで持ち上げられてはお恥ずかしいですが、今後ともよろしく。