goo blog サービス終了のお知らせ 
goo

【本】女学校と女学生

著者 稲垣恭子 発行2007年 中公新書

著者は1956年生まれ、戦前の女学生の日記・手紙などの資料から、女学生の姿を捉えようとしている。アンケートでは女学生は国語が好きで裁縫が嫌いという傾向があったそうな。意外に良妻賢母型でないので、嬉しくなってしまう。

私自身はずっと共学だったが、周りには母・姉・友人などの経験者がいるので、「女子校」は全く未知の世界とはいえない。(戦前の女学校を戦後の女子高・大に当てはめてみる)

以前、東京女子大に講演を聞きに行った時、当時朝日ジャーナル編集長だった筑紫哲也が開口一番「きょうは女子大に来たのでなんとも嬉しくて」と内心のくすぐったさが目と鼻と口から噴き出るような表情で言い、その素直らしさ、そんなもので聴衆をつかもうという発想に、がっくり来た。女子大の学生が何を求めて彼を呼んだのかが解っているのかな。そんな感性だから、朝日ジャーナルは遠からずして廃刊になってしまったのだろう。

同様に、「若い人」の石坂洋次郎も、女性への妙な思いいれがあり、感心しない。また、思春期ものの映画は数々あれど、どれも主人公(男)の無知と好奇心の巨大なことに腹がたってたまらない。

女性とは私にとっては神秘でも何でもなく、「日常の現実」その物なのだから。

女学校と女学生というものが、禁断の園にある一種独特の存在として、好奇と興味と軽侮と憧憬の対象になっていたらしいことは、数々の小説にでてくる男子の言葉から察することが出来る。それが、現実の姿ではなく、男性達が自分の中にある要素を投影したものだと作者は述べている。

実際は、ヒラリー・クリントンが自伝で言うように、女子のみという環境が女子の自立心と自信を育てている。職業に関しても、女子大卒のほうがこれまで女子の少なかった分野へ進出する数が多いと。(ヒラリーが共学大を出ていたら、大統領候補になる可能性は減ったということだろうか)
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« 【本】天璋院篤姫 【松江】木幡... »
 
コメント
 
 
 
Unknown (稲みのる)
2008-05-25 06:41:56
高校が男子校だったもので、「女学校」とか「女学生」は、「禁断の園にある一種独特の存在として」、まさに「好奇と興味と憧憬の対象」でしたが、決して「軽侮」の対象ではありませんでした。
年に一度、県内一の女子高と合同ホームルームみたいのがあって、この日ばかりは、男子一同、極めて殊勝な対応に終始していた。昔の学園ドラマと同じです。「女学生」は、女子からみれば日常の現実かも知れませんが、「神秘」そのものでした。「日常の現実」は娘の言動で納得出来ます。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2008-05-25 16:25:05
それほど殊勝になったのですか、思えば何も知らなかった昔の自分が愛おしく感じられませんか?
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。