映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
映画「山猫」
上は 91年 劇場で買ったパンフ(左側にファイル用の2つの穴が)
1963 伊 186分 イタリア語版 ★午前十時の映画祭★松江SATY東宝にて
監督 ルキノ・ヴィスコンティ 出演 バート・ランカスター アラン・ドロン クラウディア・カルディナーレ
1860-62年、イタリアが国家統一されつつある時代、シチリアを舞台とした、絢爛豪華な美術作品のような映画。主人公(バート・ランカスター)は時代が移り変わっていくことを認めつつも、寂しさを隠せない老貴族だ。周囲より頭1つぬきんでた偉丈夫、精力も決断力もある彼は女好きでダンスもうまい。「山猫」というタイトルは、公爵が「山猫と獅子の時代は終り、ジャッカルと羊の時代が来る」と予言するところからきている。片目に眼帯したアランドロンがてっきり山猫かと思いそうだが、彼は新時代の人物なのである。
1860年代と言えばアメリカでは南北戦争の時期、「風と共に去りぬ」の南部でも北部の「若草物語」でも舞踏会の描写があるが、服装のデザインに類似性はあるものの、いかにも爛熟した感じはさすがイタリアである。
アラン・ドロンがガリバルディ軍に身を投じる主人公の甥を演じる。彼に片思いの主人公の長女はおとなしい性格で、「風と共に去りぬ」だとインディアにあたり、CC(クラウディア・カルディナーレ)は新興勢力の娘で闊達で野性的、こちらはスカーレットだろう。
監督のヴィスコンティは同性愛者としてアラン・ドロンを愛していたそうだが、老公爵にCCが魅惑されているところで、ドロンに向かって下世話な表現だが「お前より女にもてるんだ」と主張しているようである。エルサ・モランテを誘惑しその夫であるモラヴィアが「軽蔑」を書く原因を作ったという実績もある。
過去には3回見ている。
1983-5-12 池袋文芸坐で、「夏の嵐」と2本立て(¥500)
1991-01-01 銀座文化で(正月料金¥1600)一緒に見たKは大いに気に入っていた。
1993-11-26 同じく銀座文化でKの海外単身赴任の留守に見た(¥900)
91年発行のパンフレット(600円)は、今見るとかなり贅沢で、表紙は上のごとしで、淀川長治が「『山猫』ーこのルキノ・ヴィスコンティ美術に酔う」と題して「淀長節」を炸裂させ、金子国義は「自分が絵描きになったのはヴィスコンティの映画を見て、あのような部屋に住みたいと思ったから」と語っている。壁にいっぱい絵を飾りたい。しかし当時は飾りたいような絵がないので、自分で描くことになった」そしてこの映画では「筋と関係ない、一見無駄に思えるシーンが大事である」と言っている。2回目に見たときは彼の言葉を参考にして、眠くなったらロビーでコーヒーを飲んで眠気を覚まし、重要な舞踏会シーンはよく見ておいた。公爵が家路をたどりつつ、星を見上げ、地面に膝まづいて祈るシーンはアレクセイ・トルストイの「苦悩の中をゆく」(書かれたのは1921-1940)の冒頭を思わせる。映画の原作は1957年だから、影響を受けた可能性がある……。
●ヴィスコンティに関する記事
→モラヴィア「軽蔑」 10-6-14
→モランテ「アルトゥーロの島」 10-6-24
→「永遠のマリア・カラス」 10-12-2
●金子国義に関する記事
→「pappa(ぱっぱ)に金子がやってきた」11-1-10
●その他関連記事
→「風と共に去りぬ」 7-7-12
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お友達が録画してくださったとは、良かったですね。なかなか入って行けなくて…とのこと、私もそうでした。パンフを読んで思ったのですが、自分自身が貴族のヴィスコンティはこの映画を、いずれは消えてゆく貴族の生活の記録のつもりで、作っているのではないかと。そういう細部は本筋とは関係なく、冗長に思えるのではないでしょうか。美術や舞台に関心のある人たちは面白いと思ってもね。ここは思い切って飛ばして、アラン・ドロンとカルディナーレが2人になるシーンとかから見始め、興が乗ったところで戻って見るのも一つの手では。
いまはビデオやDVDができて、早送りや見直しができる便利な時代になりました。
侯爵の家庭は、貴族の上流階級の上品な家庭だった.
侯爵は子供は作ったが、けれども妻のヘソも見たことがなく、妻はいくときに『マリア様』と十字を切った.
侯爵はそんな妻に満足できず、いつ戦争が始まるか分らない、そんな時でも、怯える妻を残して妾の元へ.
成金の家族
いやしい平民のでの、下品な新興成金の男.彼の妻は『あっちの方』は、抜群だという.
公爵の家族と成金の家族、この二組の家族が、結婚で結びつくことになる話です.
もう一度書くと、
上品な妻に満足できず、侯爵は妾の元へ.あの妾、どう見ても下品な女だった.
下品な新興成金の男の妻は、あっちの方は抜群だった.
『獅子と山猫』
獅子の方が、気品のある呼び方なのでしょうか.
分かりやすく、ライオンと山猫.
どちらも、自分で獲物を捕まえて食べる動物です.
『ハイエナとジャッカル』
ハイエナは、ライオンの捕まえた獲物を横取りしたり、食べ残した獲物を食べる動物です.
ジャッカルも、他の動物の、食べ残しを食べるらしい.
(貴族の)自分たちは自分で獲物を捕まえて食べてきた.そうした時代が、やがて、自分たちの食べ残しを食べる者たち(農民)の時代に変わるだろう.
公爵は、高貴な者が支配した時代が、下品な者が支配する時代に変わる、と、時代が変わることを蔑んで表現した.
政府の使者
使者は、公爵が議員になって、シチリアの住民の声を、政府に伝える役目をするように勧めたけれど、公爵は断った.
獅子と山猫は、王様と貴族です.「山猫は山猫だ」とは、貴族は貴族だ、変わらないと、言っている.
住民の声を政府に伝える事は、住民に奉仕することである.けれども公爵は、住民に奉仕させる貴族から、変わるつもりはないと言い張った.
この侯爵は、上品な女に満足できず、下品な女が好きだったはず.
自分だって下品なことが好きな癖に、何を言ってるの.....