日野原重明さんが昨日亡くなった。
1911-2017享年105。
以前、映画「神様のカルテ」2011への彼の感想文を読んだことがある。いかにも同業者らしい目配りの利いた、しかもあたたかく同情的な感想文で、常日頃どう書けばいいかと悩んでいる私は感動を覚えた。当時すでに100歳を超えておられたと思うが、ち密な文章には頭の衰えは少しも感じられなかった
ここで身内のことであるが。日野原さんと私の母は同じ明治44年生まれ。大正の自由な空気を浴びて育ったらしい共通点がある。楽天性というか、向日性というか。キリスト教徒だった点でも一緒なので、彼の中に常に母の姿を見てきたわたしである。
数年前に彼の「死をどう生きたか」1983年中公新書を読んだ。これは彼の両親・恩師と医者として看取った22人の死を述べたものだ。技師、平田義次さんは讃美歌、旧564番「み民らのために備えたまいし」を、自分の葬式で選んだという。「死を前向きに受容し、しかも信仰をもってまた科学者らしくひたむきに生きようと努力し、ついに45歳で倒れられた」とある。実はその讃美歌こそ、母が選んだものだったのである。この本を読む10日前の教会葬での事だ。「父なる御神の招き給えば、みもとに行く身をひきな留めぞ」という弾むようなリフレイン部分には、明るくひたむきに前進するいかにも母らしい面影が浮かび、歌いながら涙が滂沱として嗚咽せんばかりになった。そばにいたKは日ごろ一貫して故人に冷淡だった私のこの突然の反応に驚いて「気が狂ったのかと思った」と言った。(少し失礼な気がする)