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買物かご

       昼寝中(左)とつけペンを持つ母

    夕方    1954年11月2日   

「OO子ちゃん、ちょっとお使いに行って」
そう母にいわれて、夢中で遊んでいた私はとてもいやな気がしました。せっかく、OOさんや××さんと遊んでいたのだから、他の人にたのめばいいのに……。でも、いそがしそうな母のようすを見ているうちに、いやとは言えなくなって、しぶしぶ「はい」と立ち上がりました。
弟が「ぼくも行く」と三輪車でついて来ました。私は、腹が立っていたので、黙ってさっさと歩いて行きました。
米盛商店から出るころは、もう太陽は沈みかけていました。並んでいる家々の屋根がわらが夕日を受けて、キラキラ光っていました。食パンやたまごや、べにしょうがを入れた買い物かごを両手にぶらさげて、私は急ぎ足で家へ帰りました。台所のまどがあいて、母が「おかえりなさい。どうもありがとうね。」とにっこり笑って言いました。その笑顔を見ているうちに、私は固く固まっていた心が、しだいにやわらかくほぐれて来るような気がしました。
買物かごを台所の床にドサッと投げ出すと、母が「重かったでしょう。ねえちゃんが田舎へ帰ったから、お使いをたのんだのよ。」と言いました。私はハッとして、むりに笑って言いました。「母ちゃん、ねえちゃんが帰ったときがお休みで良かったね」「OO子ちゃん、だから、あしたはたくさんお手伝いをしてもらおうか」笑っている母に私は心から「うん」とうなづいてにっこりしました。

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これは、細部にかなり本で読んだ描写が入っている。創作もあるかも。
状況におかまいなく、大人が子供に用を言いつけることは、あの当時珍しくなかったが、特に私の母は、何かと無計画な人で、カレーを作り始めてから、カレー粉が無いことに気づいて「一寸買ってきて」と言われるのにはうんざりしたものだ。
4才下の弟は、来訪した私の友達にまじって遊び、外についてくることもよくあった。
「ねえちゃん」とはサチさんといって長くいた30歳前くらいのお手伝いさん。
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