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祖母とボールペン


 文章は書きなれないとダメだと、大学生の姪を見てつくづく思うので、これから毎日なにか書くことにした。手初めに祖母について書こうと思う。

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私が小学校低学年のころ、母方の祖母が木軸のボールペンと布装丁のノートをくれた。
近くの文房具屋では見かけない品物だったから、わざわざ町に出て買ったのかもしれない。

腹ばいになってわら半紙に鉛筆で自称小説を書いていた私を見て、多分
「これじゃかわいそう。作家も夢じゃない子だし私が一肌脱ごう」と考えたかもしれない。
当時ボールペンは今ほど普及していず、今のように使い勝手の良いものでもなかった。
力を入れずさらさらと書くという心得を前もって知るよしもなかった。
(私が特別に無器用だったということもあるが)
ボールが円転滑脱に動いてインクをペン先に送り出す仕組だと思うが、何字か書くと急に書けなくなった。見るとボールがきゅっと詰って動かない。

一方ノートは原稿用紙のデザインだが、桝目が小さく子供の字を納めきれない。
悪戦苦闘した結果、ボールペンはこっそりとどこかの隅にしまいこみ、ノートはずっと雑記用に使った。(何しろめったに見ないような良質の品で捨てるのは勿体ないので)

「無知な善意は悪意より始末に悪い」とは私の大好きな格言だ。

しかしこの時の祖母の行為に限って、これをあてはめる気はしない。
祖母の欲目から来た勘違いで、その年齢の子には早すぎた贈り物だったけれども
彼女のやさしさは間違いなく感じられたし、それは今も変わらない。

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