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桜島の大正大爆発

 きのうは桜島大爆発(1914年1月12日)の106周記念日だ。以下は1998年母が86歳の時書いたもの。日頃は彼女の詩文を批判ばかりしているが、これはいくらか出来が良い。

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 大正3年1月12日に爆発があったとき、私は生後2年2ヶ月であった。
 私は乳母車に乗っていて、誰が押してくださったかわからない。前方何米か先に、兄が兵隊さんにおんぶされていく。乳母車の後ろからは、父が母の手を引いて歩いていた。母が生牡蠣に当たって赤痢になって避病院に入院したが、その時には退院直後であったということを後日父から聞いたことがあった。そして母のために伊敷の衛戍病院に向かった時の光景である。両側は田圃か畑で枯草の道を行った様に思う。
 乳母車の中の私は白い上等の毛布にくるまっていて、後々度々目にしたのと同じビスケットの箱が側にあった。このビスケットは小さい子供の手でつまみ易い直径1糎半位の物であった。

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私が見ていたのは、夫と大勢の子供、不本意な人生に対する不満でゆがんだ中年の女であったが、ここでは2歳上の兄の米寿記念文集「えんめいそう」に「兄の思い出」と題して書いており、幼時の無邪気な素直な気持ちに戻っている。女がままならぬ人生でゆがむ以前の純真・清浄さがあらわれ、幼時の記憶の鮮やかさに感嘆する。

「父母と私とシリア」17-8-14
「テレビと五輪」  19-8-21

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