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【本】三四郎

夏目漱石 1908年著

これは、一言で言えば、九州から上京した学生・小川三四郎が、「新しい女」を地で行く才気煥発な女性・里見美禰子(ミネコ)に一目ぼれして、さんざん振り回されて・・・、という話だが
そうとわかったのは、十年いや何十年かあとで、それまでずっと知らずにいた。それでも、「三四郎」は私の大好きな小説のひとつであることに変わりは無い。

。。。ネタバレ注意。。。

最初のエピソード、汽車の女の「あなたはよっぽど度胸のない方ですね」からが、何のことか全く解らなかった。つまり、おとなの常識である性の知識が皆無だったので、何年か後、「文学」の授業で村松定孝氏から教わっても実感がなく、その何年か後、実際に体験するまでその状態が続いたのだ。

これは夫と別居中(欲求不満?)の器量の良い若い女性が「心細いから案内して」と頼りなげな風情で同宿し、同室・同蚊帳・混浴し、これほど積極的に出たのに、(童貞の)彼は文字通り手も足も出ず、一枚の布団に寝ながら、相手に触りもしなかった。漱石の弟子の小宮豊隆の実体験らしい。

。。。。ネタバレ終り。。。。

美禰子(ミネコ)との関係もまたしかり。漱石のうまさはここにある。わかる人にはわかるが、わからない人には全然わからないように書かれている。これは故意にと言うより、漱石が日本人に最も自然な慎ましい表現をとったからだろう。

私は晩熟(オクテ)でうかつな読者だったが、子どもが大人の間で何も知らずに幸せに暮すように、漱石の世界で幸せに遊べたのだ。だから、

「三四郎」は明治末期の九州ー東京間の汽車旅行(それだけで14頁ある)発展途上の東京、大学の建物や庭、西洋人教師の授業、先輩知識人・芸術家・科学者たちとのふれあい、牧歌的な男女交際の話としても、なりたつ。

いい小説は、「作家は結局何が言いたかったのか」が解らなくても優れた文章さえあれば、十分楽しめる、ということだろう。
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コメント
 
 
 
Unknown (稲みのる)
2008-07-30 20:29:52
昔、三四郎の困惑ぶりに同感、男子たるもの斯くあるべきと思ったものです(今もかな)。
女性と同宿になり、何もせず別れる場面は車寅次郎を彷彿とさせていますね。寅が上目遣いに周囲を見回し、いきなり相手に八つ当たりをする。三四郎が列車の窓から姿の見えなくなった女性を探し、席に戻る際に感じた気まずさは、寅さんが癇癪を起こす瞬間と同じだと思います。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2008-07-31 12:00:10
稲みのる様、貴重なご意見、有難うございます。
車寅次郎と小川三四郎、外見といい教養といい、全く別世界の住人と思っていましたが、どちらも女性に関しては未経験と言う共通点がありますね。
>男子たるもの斯くあるべきと思ったものです(今もかな)
かくあるべきと言うより、三四郎にはそれ以外どうしようもなかったのでは。
私はこの女性の描き方に、あるリアリティを感じてしみました。教授は、日露戦争の影響で、善良な庶民・優しい母親がこのように歪み荒んで行くと同情しておられました。ヒューマニズムですか。
 
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