goo

二宮金次郎

少し前、プールの風呂で2人連れの男性にこう声をかけられた。
「おたくさんは本を読むのが好きだそうですな」おや、この人たちも本が好きなのだろうか、日頃は飲食、TV、ゴルフ、健康の話題しか無い場所で、めずらしく楽しい話がきけるかと期待したのだが

「本屋には長いこと行ってないなあ」「図書館はエアコンが効いているから、新聞を読みに行きますなあ」「積ン読といって読んでない本もある」
つまり彼らは読書とまんざら無縁ではないことをほのめかしつつ、正面切って読書好きというのは恥かしくて、隠すべきだとする文化に属しているらしい。

タイトルとどういう関係があるかというと

「おたくは二宮金次郎のような人だと言う評判ですぞ。」これには呆然とした。「誰がそんなことを言ってますか?」「いや、誰でもみんなそう言ってます。」と、漠然と視線を事務所の方向に投げる。

知らない人のために付け加えると
二宮金次郎は18世紀に相模の国に生まれ、極貧にあえぐ実家を復興させただけでなく、小田原藩の窮状をも救った人物。昔はどの小学校の校庭にも薪を背負って読書している彼の銅像や木像があったが、戦争中、金属不足で供出されたり、空襲で焼けたり、また現代に合わないという理由で撤去されたりしたらしい。こんな歌もある。


  柴刈り、なわない、わらじを作り、
  親の手を助け、弟を世話し、
  兄弟仲よく孝行つくす、
  手本は二宮金次郎。

  骨身を惜しまず仕事をはげみ、
  夜なべすまして手習い読書、
  せはしい中にもたゆまず学ぶ
  手本は二宮金次郎。


つまり戦前の理想的な日本人像である。やめてくれ、人をそういう人物にたとえるのは。もっとも、農民だった祖先や、とりとめの無い生活ぶりの私の行く末を案じていた父が聞いたら、その父は金次郎のような?孝行息子だったというから、喜ぶかもしれない。

それにしても彼と私にどんな共通点があるのか?思い当たるのは歩きつつ本を読むということのみ。私は日ごろリュックを愛用しているし、図書館の帰りに信号待ちで本を読み、信号が変わってもそのまま読み続けたことがある。それを見かけた人がいるかもしれない。しかし、私も女性の一員、弁天さんでも、ジャンヌ・ダルクでも誰でもいい、とにかく男ではなく女にたとえてほしい、とは言うものの、上の画像をよく見ると、この金次郎、まだ大人の男になってない、かわいい少年である。ウーム、百歩譲ってよしとするか。

→「ジャンヌ・ダルク」13-12-1
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 「野蛮なクル... 映画「ちいさ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。