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映画「望郷の鐘~満蒙開拓団の落日~」


2014 日本 102分 島根県民会館にて7月18日鑑賞 監督 山田火砂子 出演 内藤剛志

阿智と言えば、星空の美しいことで有名な、長野県下伊那郡の村だ。

もう日本の敗戦が決まっていたような1945年3月にその村から満蒙開拓に向った一団がある。
3ケ村の村長の懇願でやむなく重い腰を上げた住職で小学教諭の山本慈昭さん44歳。
彼には妻と幼い2人の娘がおり、1年の約束で家族で移住した。

現地に着いたら、野火で焼けて住む家がなかった。

8月にソ連が侵攻し、関東軍は橋や線路を破壊して南方へ、男子は徴兵され、老幼と女性が取り残された。
山の中を食料もなく襲撃を恐れながら逃亡し、ついにソ連軍につかまり16歳以上の男子はシベリアに送られる。
主人公は1年半の労働の後、奇跡的に生還する。しかし村人の大半は返ってこなかった。

自分の妻子を失いつつも、その後の住職は、天竜川の中国人強制労働者のために尽力する。残留孤児の救援も始める。
講演会で残留孤児を救えと訴える内藤のシーンに思わず涙を催した。そして思いがけない幸せが
主人公の晩年に待っていた。これも彼の人柄を天が嘉したのか。

満蒙開拓団については、知れば知るほど、あまりのひどさに、大声で言わずにはいられないようなテーマである。国の政策で日本中から移住しており、それぞれの異なる物語があるが、その証言は知っておくべきことだと思う。

山田火砂子の作品は「石井のお父さん、ありがとう」2003を見たことがある。あれは日本で初めて孤児院を作った宮崎の人、石井十次が主人公だった。

本作は作られ、見られるべき作品だとは思うが、その出来には、いくつか疑問もあった。
映画を見終ってから、見る者の胸に自然にこみ上げてくるような感想を、映画の中、しかも初めの方で言っていることに違和感がある。

監督は1932年生まれの82才、これは「ああ、満蒙開拓団」撮影時の羽田澄子氏と同じ年齢である。もう残り少ない人生ではっきり言っておきたいという気持ちが、二人に共通のこのせっかちさ、大声になるのか。
「国が総力を挙げて人々をだまそうとかかるとき、それから逃れられる人は少ない。」
「加害者であって被害者である」と言う生硬なセリフ。
「関東軍は悪い」と叫ぶ満州の女性が登場。
これらは、瀕死の人が最後の力を振り絞って犯人の名を告げるのを思わせる。

日本PTA全国協議会の特別推薦と上記の過激なセリフはそぐわない感じだが
「中国残留孤児の父」と言われる主人公と知れば納得がゆく。

内藤剛志の熱演は好感が持てた。特に娘を抱く坊主頭は、往時の父と私を見るようで。
それにしても、敗戦が迫っていることに村の指導層が気づかなかったとは、
あの東京大空襲も報じられなかったのか。情報統制の恐ろしさである。
また一旦大きい規模で始まったことを、中止したり方向を変えたりすることがいかに難しいかは、
今も見られること、この悲劇は単なる昔話ではない。


→「嗚呼 満蒙開拓団」10-2-16












 
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