映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
与謝野晶子
2019年02月01日 / 本
「柔肌の熱き血潮に触れもみで」とか「君死に給ふことなかれ」でよく知られている情熱の女性詩人は「男らしい」女だった。
1.源氏物語
遠いむかし彼女の「源氏物語」現代語訳を読んだことがある。驚いたのは情熱的な女性詩人のイメージとはあまりにもかけ離れた「だ調」のぽきぽきした文章で、いっそ男性的とでも言うのか?牛の涎のごとくだらだらして曖昧な紫式部の原文とあまりにも違うのである。後で読んだ谷崎潤一郎の嫋々たる訳文の方が原文と合うなあと思った。
2.エッセー
与謝野晶子の全集には、短いエッセーがかなりある。大正から昭和初期にかけて、頼まれて書いた文章らしい。大所帯(子供11人)の主たる稼ぎ手は夫ではなく彼女だった。いわば生活費のために止む無く大量の感想文をものしたわけだ。その中には「産前の恐怖」というものがある。何回目かのお産であったが、怖いことは初産にも勝る。無痛分娩を選び、おかげで乳児のための牛乳は必要不可欠だった。とかくひがみがちな夫の機嫌も取らねばならない。その中から、女性の役は妻・母に限るというエレン・ケイの主張に真っ向から反対している。独身で、恋人もいないし、子供もいないエレン・ケイと晶子は対照的だが、言行不一致という点で一致している。
3.歯切れ良い文章と口ごもる日常会話
彼女の「向かうところ敵なし」の怖いもの知らずな主張と、明快で理知的な文章は読みごたえがあるけれど、ろくに金も稼げない夫に対しては、子供作るのはこの辺で止めようという提案はできなかったようだ。何ゆえだろう。多分、一旦実家を飛び出したからにはもう帰る家はない、この人と添い遂げるしかないと思い込んでいたのだろう。「この大いなる恋愛」に額づくという歌がある。意地もあったし、夫が気の毒で、すべて言いなりになったのか、腫物に触るように接していたのだろう。田辺聖子が、「女房というものは女性に限ったことではない」と言っているが、この場合、与謝野寛は晶子にとって女房だったのだろう。夏目漱石は女性は一人の男性を相手にしたときは強い。大抵かのじょの方が勝つ。と言っている与謝野寛がまさにそうである。
4.座禅
平塚雷鳥が若き日に座禅していた話は有名であるが、エッセーの中で晶子は、このごろ参禅が男性のあいだに流行っているが、出産と子育てをする中で、参禅のような経験を積んでいる女性はわざわざ参禅する必要はないと面白いことを言っている。「面壁九年」などというが、大勢の子育てとは正にそれだという。とすると、子供を産み育てる経験のない同性に対してしきりと反感を表明する一部の母親たちは、この素晴らしい悟りの体験をあなたも味わいなさいと親切で言っているのだろうか?しかし、子育てや参禅以外にも人間には膨大な活動分野が広がっている。例えば外国に行くことなどもそうだ。自分の体験だけが地球上で最高に価値があるというのは近視眼的であると思う。晶子は子は無条件にかわいく、子を持つことは動物としての喜びであり、母たることを社会に向かって誇ったり、ほかの女たちに強制したりするのはまちがいだと主張している。
5.「第二の性」を身をもって実証
「第二の性」の第5巻「自由な女」は、かつて女性の幸福の源とされた「恋愛」や「献身」が逆に女性を悲惨な目にあわせていると主張している。晶子は自分が家を飛出して恋愛結婚をしたということを一生ほこりにしたが、その結果は夫の不機嫌、大勢の子供の出産と育児に悩まされた。当時の「家」制度の強大さに立向かうには「恋愛」は武器になったとはいえる。しかしそのために支払った代償は意外に大きかった。もっともその代わりに、大きなものも獲得した。日々の労働(執筆)を通じて解放され、成長したのが彼女であった。
6.身近の人に敬愛される。
晶子の息子の嫁たち与謝野道子の「姑の心、嫁の思い」与謝野迪子の「想い出 わが青春の与謝野晶子」では、晶子は話の分かる良い義母だったと語られている。たいてい姑よりも異性の舅の方が嫁に好かれるが、晶子は伝統的な女性の立場を超越していたから、若い同性を好敵手とする必要がなかった。(何しろ、世間的名声も金銭的実力もぴか一だったのだからまあ相手にならない。どちらの嫁も20歳そこそこで嫁にきており、職業の経験もなく、大変美しかったのは、晶子の女性解放理論や過去の生き方にそぐわないようだが)ーー何はともあれ、嫁いびりをする必要もなかったこととて、彼女の嫁に与える印象は非常に良い。世間で尊敬される人も家庭内で妻や従者に嫌われ馬鹿にされる例はよく聞く。日常的に接する人に尊敬され愛される人こそ本当の偉人であるとだれか言っている。その意味で与謝野晶子は偉人だろう。
1.源氏物語
遠いむかし彼女の「源氏物語」現代語訳を読んだことがある。驚いたのは情熱的な女性詩人のイメージとはあまりにもかけ離れた「だ調」のぽきぽきした文章で、いっそ男性的とでも言うのか?牛の涎のごとくだらだらして曖昧な紫式部の原文とあまりにも違うのである。後で読んだ谷崎潤一郎の嫋々たる訳文の方が原文と合うなあと思った。
2.エッセー
与謝野晶子の全集には、短いエッセーがかなりある。大正から昭和初期にかけて、頼まれて書いた文章らしい。大所帯(子供11人)の主たる稼ぎ手は夫ではなく彼女だった。いわば生活費のために止む無く大量の感想文をものしたわけだ。その中には「産前の恐怖」というものがある。何回目かのお産であったが、怖いことは初産にも勝る。無痛分娩を選び、おかげで乳児のための牛乳は必要不可欠だった。とかくひがみがちな夫の機嫌も取らねばならない。その中から、女性の役は妻・母に限るというエレン・ケイの主張に真っ向から反対している。独身で、恋人もいないし、子供もいないエレン・ケイと晶子は対照的だが、言行不一致という点で一致している。
3.歯切れ良い文章と口ごもる日常会話
彼女の「向かうところ敵なし」の怖いもの知らずな主張と、明快で理知的な文章は読みごたえがあるけれど、ろくに金も稼げない夫に対しては、子供作るのはこの辺で止めようという提案はできなかったようだ。何ゆえだろう。多分、一旦実家を飛び出したからにはもう帰る家はない、この人と添い遂げるしかないと思い込んでいたのだろう。「この大いなる恋愛」に額づくという歌がある。意地もあったし、夫が気の毒で、すべて言いなりになったのか、腫物に触るように接していたのだろう。田辺聖子が、「女房というものは女性に限ったことではない」と言っているが、この場合、与謝野寛は晶子にとって女房だったのだろう。夏目漱石は女性は一人の男性を相手にしたときは強い。大抵かのじょの方が勝つ。と言っている与謝野寛がまさにそうである。
4.座禅
平塚雷鳥が若き日に座禅していた話は有名であるが、エッセーの中で晶子は、このごろ参禅が男性のあいだに流行っているが、出産と子育てをする中で、参禅のような経験を積んでいる女性はわざわざ参禅する必要はないと面白いことを言っている。「面壁九年」などというが、大勢の子育てとは正にそれだという。とすると、子供を産み育てる経験のない同性に対してしきりと反感を表明する一部の母親たちは、この素晴らしい悟りの体験をあなたも味わいなさいと親切で言っているのだろうか?しかし、子育てや参禅以外にも人間には膨大な活動分野が広がっている。例えば外国に行くことなどもそうだ。自分の体験だけが地球上で最高に価値があるというのは近視眼的であると思う。晶子は子は無条件にかわいく、子を持つことは動物としての喜びであり、母たることを社会に向かって誇ったり、ほかの女たちに強制したりするのはまちがいだと主張している。
5.「第二の性」を身をもって実証
「第二の性」の第5巻「自由な女」は、かつて女性の幸福の源とされた「恋愛」や「献身」が逆に女性を悲惨な目にあわせていると主張している。晶子は自分が家を飛出して恋愛結婚をしたということを一生ほこりにしたが、その結果は夫の不機嫌、大勢の子供の出産と育児に悩まされた。当時の「家」制度の強大さに立向かうには「恋愛」は武器になったとはいえる。しかしそのために支払った代償は意外に大きかった。もっともその代わりに、大きなものも獲得した。日々の労働(執筆)を通じて解放され、成長したのが彼女であった。
6.身近の人に敬愛される。
晶子の息子の嫁たち与謝野道子の「姑の心、嫁の思い」与謝野迪子の「想い出 わが青春の与謝野晶子」では、晶子は話の分かる良い義母だったと語られている。たいてい姑よりも異性の舅の方が嫁に好かれるが、晶子は伝統的な女性の立場を超越していたから、若い同性を好敵手とする必要がなかった。(何しろ、世間的名声も金銭的実力もぴか一だったのだからまあ相手にならない。どちらの嫁も20歳そこそこで嫁にきており、職業の経験もなく、大変美しかったのは、晶子の女性解放理論や過去の生き方にそぐわないようだが)ーー何はともあれ、嫁いびりをする必要もなかったこととて、彼女の嫁に与える印象は非常に良い。世間で尊敬される人も家庭内で妻や従者に嫌われ馬鹿にされる例はよく聞く。日常的に接する人に尊敬され愛される人こそ本当の偉人であるとだれか言っている。その意味で与謝野晶子は偉人だろう。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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ぱきぱきした文章というのは、そうかも知れないと思いました。私は瀬戸内寂聴で読みましたが、谷崎を読んでみたい気がします。
身内に敬愛された人というのは意外でした。相手にならなかったのかな?男らしい女というのは同感です。何かをなす人はそういうものではないでしょうか。
私も今回初めて読んだんですよ。田辺聖子を経由して。源氏物語は角田光代さんの訳が一番わかりやすいと思います。田辺聖子も好きですね。少し古いですが村山りうも意外と親しめます。お勧めの橋本「窯変源氏」には少し引き気味。あの方思い込みと自信が強いので。
寂聴はじめ女性たちは、みな自分に引き付けて訳してしまうんですね。彼女らはあまりにも源氏物語が好きで、見境がなくなるんじゃないでしょうか。その点角田光代はもともと源氏が好きでも嫌いでもなく、編集者に是非にと見込まれたため課題のようなつもりで取掛かったので、結果として皮肉にも万人受けするニュートラルな訳になったんじゃないかしら。体質的には彼女が私に近いかも。
身内に敬愛された、って意外でしょう?私もそうでした。つまり「一言多い」「まくしたてる」という欠点がなかったのかもしれません。はきはきしゃべらず口ごもり勝ちだったようです。そして頭が明晰なので他人の限界が見えて、一家を支えているのは自分だと言うゆるぎない自信が、寛容さを産んでいたのでは。あの人堺の商家のお嬢様ですが、美人でなく母に疎まれたという根深い劣等感もあったようですね。
彼が、源氏のヒロインをフランスの女優にあてはめているのおもしろかったわ。朧月夜はミレーヌ・ドモンジョだったかな。
田辺聖子の源氏、私も好きです。彼女らしい見方で、そうやねえ、と思いながら読んでいます。
角田光代さんは読みやすいかもね。
与謝野晶子の人物像は意外です。女傑っていうイメージだったの。詠んだ歌のイメージかしら。
お返事が来るだろうと思っていました。
「女傑」というと、男を顎で使う、男勝りの女という感じでしょうか?書いたものをみると、そういう感じですが、生身の彼女は思うことも口では言えない、誰にでも遠慮してしまうような女性のようですよ。だからこそ、ああいう書き言葉となって自己表現せざるを得なかったのかも。子だくさんに産児制限支持、激しい恋愛のあとで夫一人に貞節を尽くし、貧乏しつつご馳走を愛し、贈答の習慣に固執し、と矛盾だらけです。こういう女性は大阪の堺という特殊な町が生み出したのでしょうね。夫の鉄幹は京都のお寺の出らしい……。ところで橋本治さん喪主はお母さんなんですね。「止めてくれるなおっかさん」のそのお母さんはどんな人でしょう。それこそ女傑では・・・?