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〔詩〕旅上

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。

作 萩原朔太郎 
新潮文庫・現代名詩選(中)1980 

去年、私が「みづいろの窓」をブログのタイトルにしようかと思い、
検索したら、大勢の人がこれを使っていたので、やめることにした。
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コメント
 
 
 
Unknown (kazukokawamoto)
2007-02-21 07:49:15
{旅上}萩原朔太郎氏の詩{みづ色の窓}いい詩ですね。私もみづ色がすきです。感情あふれた詩が魅力感があって、旅の思いがでています。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2007-02-21 19:37:14
kawamotoさん、
旅好きな貴女にもお気に召す詩だろうと思っていました。
「水色のワルツ」もいいですよね。
 
 
 
Unknown (稲みのる)
2007-02-21 21:17:08
「せめては新しき背広をきて」というフレーズが好きで仲間同士の会話でよく利用した思い出があります。「われひとりうれしきことをおもはむ」って、一体、どんな事を思っていたのでしょうね。車中でほくそ笑む朔太郎を想像すると、可笑しくなってしまいます。
「帰郷」という詩では同じ車中であっても、朔太郎の違った面が出ていますね。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2007-02-24 18:27:23
みのる様、こんにちわ。
余儀ない事情で遅くなって、すみません。
たしかに、「旅上」と「帰郷」は、対照的な詩ですね。
「5月の朝のしののめ」に心も軽く出かけた青年が、
何年後か、妻に去られて幼い2児をつれて、帰郷
する途中、夜汽車に独り目覚めるという設定。
彼の人生の前半と後半の変転を象徴しているように思われます。
 
 
 
Unknown (margot2005)
2007-02-25 23:26:07
こちらにもお邪魔を...
朔太郎のこの詩は私の中でフランスに行きたい!気持ちが芽生えた発端だったかも??
朔太郎ならぬ、この詩を読んだわたしも同じ...
ふらんすはあまりに遠し...
でも朔太郎のおかげなのか??解りませんが...執念でもってフランスには行きましたわ!
なんだかまた行きたくなってきました...どうしましょう!!
 
 
 
Unknown (Bianca)
2007-02-28 02:10:24
margot2005さま(改訂版)
朔太郎は、「ふらんす」に行くことなく、昭和17年に亡くなったそうです。
行かなかったからこそ、この美しい詩が出来たのかもしれません。
「行きたい」という思いは詩を生むが、行くことは幻滅を生む・・・私の箴言です。
 
 
 
Unknown (kazukokawamoto)
2007-02-28 08:05:35
萩原朔太郎氏の詞の遠いフランスの幻の詩。現実はパリー市内は詩になるほどのものでもない、地方は有名な館と風景で和む、歴史や画家たちの歩んだ場所も学ぶ、詞や芸術家が好む所。そんなフランスでした。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2007-02-28 13:54:01
kawamotoさま、
残念ながら、私は鼻が利かず(「香水」で書いたように)それゆえ味覚も鈍いため、美食と香の中心パリに行っても「猫に小判」の感がありました。
地方は、お城や教会、なだらかな丘や野の眺め、きっと素敵でしょうね。特に、マルセイユは行って見たい町です。
 
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