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過ぎた世の面影


先日、こんな随筆を読んだ。

表題は「こがらし」作者は岩本素白。

東京の冬は、彼が子供のころ、寒かった。
昔は平屋ばかりで風を防ぐ壁がないので一層心細い。
服も毛のものがなく、手首にボタンのあるネルのシャツが精々である。
各家には火事用に貴重品を持出す篭がある。
大風が吹くと、早く夕食を済ませて戸締りをする習わしだ。
そんな日は、東京出身者はそわそわして誰からともなく
学校を早びけしてしまうので大家族の地方出身者に笑われる。
日ごろ出入りにうるさい母親も、帰って来た息子に小言は言わない。

「旅への誘い」がテーマの短文集なのに
不思議なことに彼の文には「旅」が出てこない。けれども
はるか昔の東京の慎ましい堅実な暮らしが目の当りに感じられ
いかにもどこかはるかな場所に旅をしたような気がする。
着物の下にネルの下着を着た書生たち、
「三四郎」とか寺田寅彦、亡くなった私の父や祖父を思い出す。

彼の言葉遣いが、むき出しでなく上品で、控えめなので、
教養のある古老の話を聞くようで非常に好感が持てる。

岩本素白の名は初めて聞く。俳句でも作るひとのような名前だと思い
検索したら、昭和のはじめ早稲田大学で随筆文学講座を持っていたそうだ。

本名:岩本堅一(1883-1961)

出典:生きるってすばらしい (16) 旅への誘い
   (新編・日本の名随筆-大きな活字で読みやすい本-) 作品社 1996/4
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
はじめまして (aosta)
2016-05-31 07:24:05
Biancaさま
初めてコメントを入れさせていただきます。
信州は八ヶ岳山麓で田舎暮らしをしておりますaostaと申します。

御紹介の岩本素白については、全く存じませんでしたが、生没年を見ると、中勘助とほぼ同時代の作家なのですね。
少し遅れて阿部知二というところでしょうか。
この時代の作品には、それが例え市井のつつましやかな生活を描いたものであっても立ち昇る香気のような品位が感じられますね。
その昔母の本棚から抜き出して読んだ阿部知二の「冬の宿」にも同じ雰囲気があったことを懐かしく思い出しました。
母は岩本素白の名前をしっているかしら。
今年91歳になる母とのおしゃべりは、かつてに比べ、ゆっくりのんびりとしたものになりました。
今日は良いお天気です。
森からは郭公の声がのどかに響いてきます。
久しぶりに母の顔を見ながら文学談議をしたくなりました。

琴線に触れる文章を読ませていただき感謝です。
またお邪魔させてください。どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2016-06-02 14:22:37
aostaさま

コメントありがとうございます。
aostaさんもでしたか?かなりの本好きにも聞きなれない名前ですよね。この人を偶然発見して興奮しました。彼はストイックで自分に厳しい人なので、(文はやさしいですが)教職に就くとき、周囲が手配してようやく最初の本を出したそうです。あの頃の日本人の表現能力は素晴らしく、だんだん衰えてきているのは寂しい限りです。中勘助もやはり東京ですね。彼の文は大好きです。安部知二は「朝の鏡」「人工庭園」を読んでいますが知的ですね。それにしても91歳のお母様と文学談義ができるなんて、羨ましい限りです。今後ともどうぞ宜しく。
 
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