(写真は 錦里古街のオカリナ楽器店)
91: 『妖怪学入門』阿部主計著
記録だけ 2008年度 1冊目
『妖怪学入門』雄山閣BOOKS 19 阿部 主計(あべ かずえ) 昭和62年6月20日第1版
2008年1月に読了済みの『妖怪学入門』雄山閣BOOKS 19を再度読み始める。
また途中だが、民俗学や伝統芸能に多少興味のあるわたくしにとっては、のめり込む程に面白い。
時間を経た今、再読するのは有意義だと感じる。
先日中間報告をかねて記録した『梁塵秘抄』新潮日本古典集成31回 榎克朗、日本詩人選22 西郷信綱
こちらの2冊は家の本なので、線引きしながらじっくりと読み進めている。
本は楽し☆
今回も中間報告にて失礼申し上げます。
2008年1月記録 『妖怪学入門』 阿部 主計(あべ かずえ)著
雄山閣BOOKS 19
著者 阿部 主計(あべ かずえ)
昭和62年6月20日第1版
昭和62年7月5日第4版
200ページ 2200円 +税
簡単な、以前の記録 ▼
先日から読んでいた『妖怪学入門』 を読了。
我ながら丁寧に読み込んだ物だと思う。
前回読んだ 『日本史 怖くて不思議な出来事』 に続いて、能楽や歌舞伎、神楽などにもある内容が色々と記されていた。
どうも民俗学と芝居とは、切っても切れぬ仲らしい。
P.7の「ぬし」に興味深い一説があるので、一部のみ 記録しておこう。
・・・・・・人間は、いかに心霊の存在を理論的?に信じても、感覚的にはっきりと実見し、認識しなければ安心できない。そこで、神に仕え、神に通ずる役目の者が、いわば神様の代理人として、その形を見せ、悪霊をやっつける演技をなす。簡単にいえば、神楽の始まりであり、演技の源である。それは日本武尊(やまとたけるのみこと)の熊襲(熊襲)退治のような活動的場面にもなったが、一面、問答(仏教輸入以降の呼称だが)という、理論闘争の形となって、根強く残った。そのゆえんを説明していては限りがないし、本稿の目的とはほとんどかかわりがないので省略するが、この神と地霊の対立の形が、わが国の舞台芸術の基本のひとつとなって、‘勧進帳’の弁慶と富樫、それに二人組の漫才のやりとりまでその面影をとどめている。そのなれ合いの形が芝居ではなく、真剣な競技になってしまったものが相撲であって・・・・・・・・。横綱は、しめなわ、すなわち神域のしるしで、手数(てずり)入り(横綱の土俵入り)は神が、土地の霊が荒れださぬように地を踏みしめる、いわゆる地鎮祭の形である。・・・・・・・・・。
歌舞伎などのなじみの演目が次々に書き出され、草紙の絵や浮世絵なども多く載せられ、非常に面白かった。
内容も深く、結構読み応えのある一冊。
貸していただくのではなく、手元においてもう一度読みたい本。
91: 『妖怪学入門』阿部主計著
記録だけ 2008年度 1冊目
『妖怪学入門』雄山閣BOOKS 19 阿部 主計(あべ かずえ) 昭和62年6月20日第1版
2008年1月に読了済みの『妖怪学入門』雄山閣BOOKS 19を再度読み始める。
また途中だが、民俗学や伝統芸能に多少興味のあるわたくしにとっては、のめり込む程に面白い。
時間を経た今、再読するのは有意義だと感じる。
先日中間報告をかねて記録した『梁塵秘抄』新潮日本古典集成31回 榎克朗、日本詩人選22 西郷信綱
こちらの2冊は家の本なので、線引きしながらじっくりと読み進めている。
本は楽し☆
今回も中間報告にて失礼申し上げます。
2008年1月記録 『妖怪学入門』 阿部 主計(あべ かずえ)著
雄山閣BOOKS 19
著者 阿部 主計(あべ かずえ)
昭和62年6月20日第1版
昭和62年7月5日第4版
200ページ 2200円 +税
簡単な、以前の記録 ▼
先日から読んでいた『妖怪学入門』 を読了。
我ながら丁寧に読み込んだ物だと思う。
前回読んだ 『日本史 怖くて不思議な出来事』 に続いて、能楽や歌舞伎、神楽などにもある内容が色々と記されていた。
どうも民俗学と芝居とは、切っても切れぬ仲らしい。
P.7の「ぬし」に興味深い一説があるので、一部のみ 記録しておこう。
・・・・・・人間は、いかに心霊の存在を理論的?に信じても、感覚的にはっきりと実見し、認識しなければ安心できない。そこで、神に仕え、神に通ずる役目の者が、いわば神様の代理人として、その形を見せ、悪霊をやっつける演技をなす。簡単にいえば、神楽の始まりであり、演技の源である。それは日本武尊(やまとたけるのみこと)の熊襲(熊襲)退治のような活動的場面にもなったが、一面、問答(仏教輸入以降の呼称だが)という、理論闘争の形となって、根強く残った。そのゆえんを説明していては限りがないし、本稿の目的とはほとんどかかわりがないので省略するが、この神と地霊の対立の形が、わが国の舞台芸術の基本のひとつとなって、‘勧進帳’の弁慶と富樫、それに二人組の漫才のやりとりまでその面影をとどめている。そのなれ合いの形が芝居ではなく、真剣な競技になってしまったものが相撲であって・・・・・・・・。横綱は、しめなわ、すなわち神域のしるしで、手数(てずり)入り(横綱の土俵入り)は神が、土地の霊が荒れださぬように地を踏みしめる、いわゆる地鎮祭の形である。・・・・・・・・・。
歌舞伎などのなじみの演目が次々に書き出され、草紙の絵や浮世絵なども多く載せられ、非常に面白かった。
内容も深く、結構読み応えのある一冊。
貸していただくのではなく、手元においてもう一度読みたい本。
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