先日、畑に干したお大根を見ました。
『まぁ、かわいらしい。』
と、内心ほくそ笑みながら、カメラに収めました。
すると
「今、大根の写真を撮りましたよね!AHO子さんは都会の生まれですか?」
とお尋ねになります。
都会という訳ではありませんが京都であることを伝えると、
「京都市内?」
「京都市内のどこですか?」
「生まれたのも◯京区?」
「育ったのも◯京区?」
といった具合にお尋ねになります。
別段隠す必要もないし、京都には愛着も有りますので正直にのべました。
わたくしは不思議な感じが致しました。
京都ではこういった会話は成立しません。
私はよくは存じ上げません。
しかしながら、奈良ではこういった会話が名刺変わりになる場合が多いのです。
私は相手様のお生まれなどを聴かないことを礼儀としています。
ですから、お尋ねになった方がどこのお生まれの方かは存じ上げません。
おっしゃりたい方は、自ら自分のお住まいを語られる方が多いのもここに住んでの特徴です。
奈良にこしてきた頃には理解しがたい不思議な会話でした。
ですがここ二年ばかり民俗学の本で遊んでいますので、宮座など今も残る村人の感覚がうすらぼんやりと感覚的にわかり始めてきました。
難しい話ですのでわたしにはよくわからないのですが、就職問題や障害者問題や老人問題などそういったこともみんなひっくるめて、みんなが幸せに生きることができる世の中にしたいものですね。
ところで、
写真の大根はお漬け物の下準備でしょうか?
大きいままの切ってない「切り干し大根」にするのでしょうか?
以前講義で
「モミ(米)洗い云々」
とおっしゃっていたので、
「モミ洗いとは呪術的な行為ですか?」
と授業のあとに質問すると。
「米を撒く前に洗うのです。」
と不可思議そうに教えて下さいました。
あれ以来、わたくしは素朴な疑問が聞けないでいます。
大根干し、かっこいいなと思います。
私もやってみたいなぁと思いましたが、用途はわかりません@^^@
こりゃ!だめじゃん。
太陽を浴びると大根が甘くなるそうです。
やってみようかな*^^*