鳴川渓谷で見た、切れた『道切り』
(川向こう)
↓ (川の向こうからこちらに続くなわ)
↓ (川をはさんで)
↓ (石仏群のあり切り立つ岩の上)
上の写真は『鳴川石仏』を見上げたところです。
滝は今は人工的にトタン?のようなもので水を落とされていました。
その左を見て下さい。
ほとんど岩の苔の糸と同化した色彩の切れた縄です。
保護色でわかりにくいかも知れませんが、この縄は正しく『道切り』の切れた一部分だと考えられます。
以前にも矢田出らの近くまで『道切り』を探しにいった私です。
私の興奮度は最高値でした。
振り回される娘。
相づちをうつ娘。
そして、苦笑する娘。
川を挟んでのもう一方は 一体どうなっているのでしょうか。
私ははしゃいで反対の方向に走りました。
反対の方向にもありました。
風景にとけ込んでしまったような縄が垂れ下がっています。
そして川の端で、縄の余った部分はまとめられていました。
ただでさえ私にとっては珍しい宝のような『道切り』のある景色です。
それが過酷な自然によって、切れているのです。
何か考えさせられるものがあります。
村の人々は ‘災い去れ!’の『道切り』が切れてしまって、どのような気持ちを持たれたのでしょうか?
私たちには計り知れない思いで、縄をまとめられたのではと、案じております。
奈良県平群町 鳴川渓谷『鳴川石仏』すぐ側
2009、09、06
ありがとうございます。
奈良は楽しむほどにいいところだとつくづく思います。
私の知らないものが一杯で、玉手箱のような奈良です。