『身毒丸 』 折口信夫 9 放散してゐた意識が明らかに集中して来ると、師匠の心持ちが我心に流れ込む様に感ぜられて来る。あれだけの心労をさせるのも、自分の科だと考へられた。
「折口信夫全集 第十七巻」中央公論社
1954(昭和29)年11月
「折口信夫全集 27」中央公論社
1997(平成9)年5月
四度目の血書を恐る/\さし出したときに、師匠の目はやはり血走つてゐたが、心持ち柔いだ表情が見えて、人を恨むぢやないぞ。
危い傘飛びの場合を考へて見ろ。
若し女の姿が、ちよつとでもそちの目に浮んだが最後、真倒様だ。
否でも片羽にならねばならぬ。
神宮寺の道心達の修業も、こちとらの修業も理は一つだ。
写経のことには一言も言ひ及ばなかつた。
そして部屋へ下つて、一眠りせいと命じた。
経文は膝の上にとりあげられた。
執着に堪へぬらしい目は、燃えたち相な血のあとを辿つた。
自身の部屋に帰つて来た身毒は、板間の上へ俯伏しに倒れた。
蝉が鳴くかと思うたのは、自身の耳鳴りである。
心づくと黒光りのする板間に、鼻血がべつとりと零れてゐた。
さうしてゐるうちに、放散してゐた意識が明らかに集中して来ると、師匠の心持ちが我心に流れ込む様に感ぜられて来る。
あれだけの心労をさせるのも、自分の科だと考へられた。
身毒は起き上つた。
そして、机に向うて、五度目の写経にとりかゝるのである。
夢心地に、半時ばかりも筆を動かした。
然し、もう夢さへも見ることの出来ない程、衰へきつてゐる。
疲れ果てた心の隅に、何処か薄明りの射す処があつて、其処から未見ぬ世界が見えて来相に思はれ出した。
身毒は息を集め、心を凝して、その明るみを探らうと試みる。
『身毒丸 』 折口信夫 1 信吉法師が彼(身徳)の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。
『身毒丸 』 折口信夫 2 此頃になつて、それは、遠い昔の夢の断れ片(はし)の様にも思はれ出した。 / 父の背
『身毒丸 』 折口信夫 3 父及び身毒の身には、先祖から持ち伝へた病気がある。 身毒も法師になつて、浄い生活を送れ」
『身毒丸 』 折口信夫 4 身毒は、細面に、女のやうな柔らかな眉で、口は少し大きいが、赤い脣から漏れる歯は、貝殻のやうに美しかつた。
『身毒丸 』 折口信夫 5 あれはわしが剃つたのだ。たつた一人、若衆で交つてゐるのも、目障りだからなう。
『身毒丸 』 折口信夫 6 身毒は、うつけた目を睜(せい)つて、遥かな大空から落ちかゝつて来るかと思はれる、自分の声に ほれ/″\としてゐた。
『身毒丸 』 折口信夫 7 芸道のため、第一は御仏の為ぢや。心を断つ斧だと思へ。かういつて、龍女成仏品といふ一巻を手渡した。
『身毒丸 』 折口信夫 8 ちよつとでもそちの目に浮んだが最後、真倒様だ。否でも片羽にならねばならぬ。神宮寺の道心達の修業も、こちとらの修業も理は一つだ。
『身毒丸 』 折口信夫 9 放散してゐた意識が明らかに集中して来ると、師匠の心持ちが我心に流れ込む様に感ぜられて来る。あれだけの心労をさせるのも、自分の科だと考へられた。
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