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當麻寺・奥の院御影堂

2009年04月19日 | 陵 古墳 墓 遺跡

 

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小野妹子墓

2009年04月19日 | 陵 古墳 墓 遺跡

 小野妹子は厩戸皇子による600年第1次の遣隋使派遣には選ばれなかったものの、607年の第2次に派遣され小野氏を一躍トップに引き上げた人である。 小野氏は遣隋使の小野妹子や小野小町などの著名人が多く天武朝の仕えた小野朝臣毛人(位は飛鳥浄御原令制定後の官職・大錦上で、日本書紀でも小野朝臣がみえる。 小野毛人の子は小野毛野であり遣新羅使や太宰大弐に任ぜられたこともある。 毛野は714年になくなっているが続日本紀に「推古朝の大徳冠妹子の孫、小錦中毛人の子なり」 とある。) は小野妹子の子である。  小野氏は平安遷都の以前から岩倉盆地に拠点を持つ山城の豪族である。 小野氏はその昔、大化の改新の頃は和邇臣系に属し、葛城氏や蘇我氏と並ぶ有力な大氏族で、春日、大宅、粟田、柿本、小野に分裂し小野妹子、小野老から小野岑守・小野篁といった公卿期を絶頂とし、その後も古今歌人の小野春風、小野道風を輩出するが、小野小町で没落の一途を辿った。7世紀末に、小野氏は小野郷内を本拠地としていたのである。

 

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