行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

猫の集会

2008-03-16 21:51:43 | Weblog
 YAHOO!にあったトピックから拾ってみた↓

 外暮しの猫は、基本的に排他的で、自分ひとりの生活を守っているが、数が増えると、そんなことを言っていられなくなる。
 単独生活を基本とする野生猫は、通常、成猫ならオスでもメスでも、自分だけの「縄張り」をもって生きている。「縄張り」の範囲は、ネズミなどの獲物が多ければ、狭くても十分で、獲物の密度が低ければ、広い縄張りが必要になる。
 野生猫が他の猫と暮らすのは、基本的に母猫と子猫の関係だけのようだ。子猫が育ち、自分で狩りができるようになると、子猫は、母猫の縄張りから出ていき、どこか別の場所に自分の縄張りを築いていく。
 メスの子猫なら、母猫の近くに自分の縄張りを築いて暮らすこともあるが、オスの子猫の場合、どこか遠くへ旅立っていく。これは、近親交配を避ける猫たちの知恵と言える。
 しかし、人の生活圏に暮らす野猫では、かなり様子が違ってくる。漁村など、人から与えられる食べものが豊富な場所に、多くの野猫が群れ暮らしていることは、よく見られる。これは、他の猫と争わなくても食べものが手に入るのなら、お互いの縄張りが重複しても、平和共存できる。
 しかし、そのような野猫の群れをよく観察すると、いくつかのグループに分かれて暮らしている。
 グループの基本単位は、母猫と娘猫を核とする母系集団。
それぞれの母系集団では、発情や出産の周期を一致させて、グループごとに共同育児をしていることもある。
 このような、縄張りを重複させて暮らす野猫たちが互いの存在を認め合う場が、よく「猫の集会」といわれるものではないか、と考えられている。
 集団生活を基本とする人の社会で生きていこうとすると、本来は単独生活者の猫も、やむをえず、群れに近い状態で生きざるを得なくなる。
「一緒に暮らしたくないけれど、食べものの豊富な場所を離れたくない。どうすればいいのか」。
 そこで、同じ地域のなかで、縄張りを重複させている猫同士が、縄張りを共有する公園や空き地、空き家などに集まって、ケンカせずに生きることを確認し合おうというわけである。
 集会は穏やかな雰囲気ですすめられ、日常的な顔見世興行のようなもの。お互いの顔を確認しあい、交流の安定化をはかっている。
 ここで顔を合わせた猫同士は、狩り場(ゴミ捨て場、集会所など)内でたまたま顔を合わせることがあっても、ケンカになることはない。
 集会は夜中だけでなく、日中日向ぼっこをしながら開かれることもあるようだ。

 この「猫の集会」に子猫が母猫に連れられて参加し、みんなに認められると、「市民権」を得たことになる。
 
 猫の社会も大変だね。うちの近所の猫達は、夜な夜な「フギャー」と叫びながら猛然と他の猫を追いかけ、ダッシュしている。たいてい何か、物が落ちる音がしてうるさい。

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