行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

三国志公開

2008-10-31 23:50:39 | Weblog
 明日から「レッドクリフ」が公開される。ストーリーは確認していない。「演義」派か「正史」派で、描き方が全く異なる。
 独断と偏見で、魏・呉・蜀の三国で、最も好きな人物を一人ずつ選ぶなら、魏では張遼文遠、呉では陸遜伯言、蜀では趙雲子龍である。いずれも智勇兼備で、攻守どちらでも任せられる人物である。史実張遼は、対呉の最前線に赴任し、呉の孫権は張遼が存命の間、侵攻できなかった。また、江東の子供達は、「遼来来(張遼が来た)」と聞くと、泣いていた子が泣き止み、逃げて行く程怖れられた。張遼と曹操の最初のやり取りは、呂布包囲戦後で、呂布配下であった張遼は、曹操軍からの策略で籠城した呂布に従わず、場外に出たまま遊軍として曹操軍を警戒した。曹操の更に大掛かりな策の前に、呂布は敗れ、曹操の前に引き出された。呂布、陳宮、高順の処刑が決まる中、張遼は曹操に言う。「最強の武が敗れた。私は最強の武に仕えたが、その仕えるべき最強の武はもはや無くなった」と。更に続け、「呂布の一撃を2度も続けて受け止めた曹操の力が納得できない。」そう言うと、曹操は「お前が既に答えを出している。・・・呂布を最強と見た者に、最強の武は更に遠い。それを曹操軍の中で求めよ」と答え、帰順させた。これは「蒼天航路」での場面である。演義では、処刑が決まった張遼の人柄を見込んだ劉備や関羽の助言で曹操に仕える事になったという。
 趙雲や陸遜まで語り始めると収拾が付かなくなるので、今日はこれまで。
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