連続幼女誘拐殺人:宮崎死刑囚・刑執行(その2止) 残忍さ、異様さ残し
◇「覚めない夢の中で…」 ビデオ、雑誌に埋もれ
連続幼女誘拐殺人事件は、残忍さだけでなく、遺骨を被害者方に運んだり、犯行声明を郵送するなど異様さが際立っていた。宮崎死刑囚の自宅の部屋からは大量のビデオなどが見つかり、倒錯した幼児性愛もクローズアップされた。
宮崎死刑囚は事件のさなかに、「今田勇子」名の犯行声明と遺体の顔写真を女児宅や新聞社に送りつけ、犯人像や意図を巡る推測が飛び交った。1審判決は、「犯行を遺族や報道機関に告知して自己を顕示するとともに捜査のかく乱を企図した」と認定した。
8畳ほどの自室には、大量のビデオテープやコミック雑誌が積み上げられ、警察の捜索より前に異様な部屋の様子が大きく報道された。「おたく族」という言葉が流行語になり、事件の背景が幅広く論じられた。
宮崎死刑囚は公判で「覚めない夢の中でやったような感じ」「別の島のことのように思う」などと発言。精神鑑定の問診でも「『ネズミ人間』が出てきて恐怖の中にたたきこまれ、後は分からない」「自分の分身が(女児を)車に連れ込み、解剖行為をした」などと述べ、3通りの精神鑑定が出る異例の経過をたどった。
鑑定の一つは、宮崎死刑囚が「多重人格」に陥り、小児性愛や死体性愛の傾向を持つ別人格が犯行に及んだとの見方を示し、社会の関心を集めたが、地裁判決はこの鑑定を採用せず、完全責任能力があるとして死刑を選択した。
◇「再審準備中」弁護士が抗議
宮崎死刑囚の弁護人を務めた田鎖麻衣子弁護士は17日、「数カ月前から再審請求の準備を進めていた。こうした事情を知りながら、死刑を執行したことに強く抗議する」とのコメントを発表した。5月末には鳩山邦夫法相に書面で刑を執行しないよう要請していた。
田鎖弁護士は再審請求について宮崎死刑囚から依頼を受け、今年2月ごろから準備を進めていた。宮崎死刑囚は東京拘置所で精神科の治療を受けていたといい、専門家に意見書の執筆も依頼していた。田鎖弁護士は「まさかという思いもあったが、不安が的中してしまった」と話した。
◇時代の変化象徴--福島章・上智大名誉教授(犯罪精神学)の話
時代の変化を象徴する事件だった。1人の犯罪者が社会の大きな関心や論議を呼んだ先駆けでもあり、責任能力についても法整備のきっかけになった。精神鑑定では統合失調症や多重人格など、さまざまな判断が出された。統合失調症を発病していたとしても責任能力に大きく影響を与えるものではなかったと考えるし、多重人格についても証拠に照らして無理な見方だった。死刑確定、執行はやむを得ないだろう。
◇死刑当然の犯罪--渥美東洋・京都産業大法科大学院教授(刑事法)の話
幼い子供たちの尊い命が奪われた犯罪で死刑は当然。法務省が事件を十分調査し、誤判や恩赦の余地がないと判断をしたのだろう。個別の事件の事情によるので、一概に刑の執行時期が早いかどうかは言えない。宮崎死刑囚のような猟奇的なケースは、若年時の発達上の障害を早期に発見し対策を講じることが重要だが、秋葉原の殺傷事件を見ても、まだ社会的システムの構築は十分でないと感じる。
◇生きたかったのか--「《宮崎勤》を探して」の著書がある評論家、芹沢俊介さんの話
「即刻恩赦を請求してください」という本人の手紙が昨年関係者に届いたと聞いた。彼は生きたかったのだろう。宮崎事件にはその後の神戸連続児童殺傷や池田小事件の原形のようなものを感じる。家族や社会の中で自分の存在が認められていないのは、「透明な存在」と言った神戸事件の少年や、秋葉原事件の容疑者にも通じる。時代の病理性は強まっていて、彼を死刑にしても事件が終わったことにはならない。
◇詐病だったと思う--作家、佐木隆三さんの話
東京地裁で宮崎死刑囚の裁判をすべて傍聴したが、謝罪の言葉が全くなく、すっとぼけていたという印象がある。1審で異なる3通りの精神鑑定の結果が出たが、私は宮崎死刑囚は詐病だったと思っている。近年でも、広島や栃木で下校途中の女の子が殺されるという似たような事件が起きたが、4人もの幼女を手にかけた残虐性は際立っている。
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■解説
◇早まるペース、進まぬ議論
鳩山邦夫法相の下で13人目となる17日の死刑執行は、これまで抑制的に進められてきた執行の在り方が様変わりしたことを強く印象付けた。連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚の執行という衝撃に加え、93年の死刑執行再開以降、最多の執行命令をした法相という事実も重く、執行までの期間も短縮化される傾向にある。
鳩山氏は昨年12月、就任約3カ月で3人の執行を命じた。それ以降、約2カ月ごとに3人(今年2月1日)、4人(同4月10日)、3人(今回)と異例の早いペースで執行が続いている。近年は平均約7年かかっていた判決確定から執行までの期間も、前回の執行では3人が4年以内、今回も宮崎死刑囚の2年4カ月をはじめ3人全員が4年以内だった。
刑事訴訟法の「確定から6カ月以内に執行」という規定を鳩山氏が意識しているのは間違いない。それは、司法の厳罰化で死刑確定者が100人を超える状況を危惧(きぐ)する法務省の意向とも重なる。
ただ、死刑制度を巡ってはさまざまな議論がある。一部の国会議員は仮釈放のない「終身刑」導入に向けた動きをみせている。一方、鳩山氏は省内に「勉強会」を設置し、昨年12月には、執行された死刑囚の氏名などの公表に踏み切ったが、それ以上の議論が省内で進められている様子はない。死刑廃止を訴える団体などからは「鳩山氏が唱える死刑の『自動的執行』がなし崩し的に進んでいる」との批判も出ている。
市民が死刑判決を決めることもある裁判員制度のスタートを見据え、死刑制度に関する一層の議論が求められる。【坂本高志】
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◆「告白文」要旨
◇「今田勇子」名で犯行告白
宮崎死刑囚が出した「犯行告白文」の要旨は次の通り(〇〇、△△は被害者名)。
御葬式をあげてくださるとのことで、本当に有難うございました。御陰様で、私の子、共々、やっと「お墓」に葬ってやれることができました。
では、どうして〇〇ちゃんをあやめたかについて告白をいたします。
私は、私の不注意からなる不慮の事故で、5才になる、たった1人の子供を亡くしてしまいました。私は、床下に穴を掘って子供を埋めました。
「〇〇ちゃんは、知っている人でも、すぐについてゆく子ではないだろう。」と、皆さんは言っていますね。当然です。すぐについて来ません。実は、私も〇〇ちゃんを知っていて、〇〇ちゃんも私を知っています。もし私が捕まった時、皆さんは、私を見て驚かれるでしょう。
〇〇さん、残念ながら私は、あなた方の身近に居ます。近くが遠いのです。
私は、引っ越してきた家の床下に埋めた子供の隣りに、〇〇ちゃんの骨を埋め、これで、やっと、ほっとしました。これで全てが終わったのです。
それが、しかしです。やがて、群馬の方で、不明だった子の家のそばで、子供の骨が発見されました。「その骨を△△ちゃんのものとしてもよい。」という発表があった。私は、この事で、ある決心をし、計画をたてたのです。
我が子の骨を、〇〇宅の葬式として、正式に「お墓」に入れてもらおうと思ったのです。私は、送る前に骨を焼きました。段ボール箱に私の子の骨を入れ、〇〇ちゃんの歯数本と、体の骨を少し入れて混ぜました。
私にできることなら、神にさからってでも、あと15年は捕まりたくないと思っています。そう心に思っていれば、もし神様がそれよりも前に、警察官を私の前に持ってきた時に、「あと15年は捕まりたくない」という私の願いをふみにじってくれるから、私の、真に会いたい状態の我が子に、私は対面できる。だから私は、「捕まりたくない」と言ったのです。
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◇連続幼女誘拐殺人事件と裁判の経過
<88年>
8月 埼玉県入間市の幼稚園児(4)が失跡
10月 同県飯能市の小学1年生(7)が失跡
12月 同県川越市の幼稚園児(4)が失跡
<89年>
2月 入間市の園児宅に遺骨届く
〃 朝日新聞社に「今田勇子」名の犯行声明文
3月 入間市の園児宅などに「今田勇子」名の告白文
6月 東京都江東区の保育園児(5)が失跡
7月 宮崎死刑囚を幼女への強制わいせつ容疑で東京都八王子市内で現行犯逮捕。
10月までに4件の誘拐殺人で起訴
<90年>
3月 東京地裁初公判で起訴事実の一部を否認
<97年>
4月 東京地裁が死刑判決
<01年>
6月 東京高裁が宮崎死刑囚側の控訴棄却
<06年>
1月 最高裁が上告棄却。2月に死刑が確定
(出所:毎日新聞 2008年6月17日 東京夕刊)
◇「覚めない夢の中で…」 ビデオ、雑誌に埋もれ
連続幼女誘拐殺人事件は、残忍さだけでなく、遺骨を被害者方に運んだり、犯行声明を郵送するなど異様さが際立っていた。宮崎死刑囚の自宅の部屋からは大量のビデオなどが見つかり、倒錯した幼児性愛もクローズアップされた。
宮崎死刑囚は事件のさなかに、「今田勇子」名の犯行声明と遺体の顔写真を女児宅や新聞社に送りつけ、犯人像や意図を巡る推測が飛び交った。1審判決は、「犯行を遺族や報道機関に告知して自己を顕示するとともに捜査のかく乱を企図した」と認定した。
8畳ほどの自室には、大量のビデオテープやコミック雑誌が積み上げられ、警察の捜索より前に異様な部屋の様子が大きく報道された。「おたく族」という言葉が流行語になり、事件の背景が幅広く論じられた。
宮崎死刑囚は公判で「覚めない夢の中でやったような感じ」「別の島のことのように思う」などと発言。精神鑑定の問診でも「『ネズミ人間』が出てきて恐怖の中にたたきこまれ、後は分からない」「自分の分身が(女児を)車に連れ込み、解剖行為をした」などと述べ、3通りの精神鑑定が出る異例の経過をたどった。
鑑定の一つは、宮崎死刑囚が「多重人格」に陥り、小児性愛や死体性愛の傾向を持つ別人格が犯行に及んだとの見方を示し、社会の関心を集めたが、地裁判決はこの鑑定を採用せず、完全責任能力があるとして死刑を選択した。
◇「再審準備中」弁護士が抗議
宮崎死刑囚の弁護人を務めた田鎖麻衣子弁護士は17日、「数カ月前から再審請求の準備を進めていた。こうした事情を知りながら、死刑を執行したことに強く抗議する」とのコメントを発表した。5月末には鳩山邦夫法相に書面で刑を執行しないよう要請していた。
田鎖弁護士は再審請求について宮崎死刑囚から依頼を受け、今年2月ごろから準備を進めていた。宮崎死刑囚は東京拘置所で精神科の治療を受けていたといい、専門家に意見書の執筆も依頼していた。田鎖弁護士は「まさかという思いもあったが、不安が的中してしまった」と話した。
◇時代の変化象徴--福島章・上智大名誉教授(犯罪精神学)の話
時代の変化を象徴する事件だった。1人の犯罪者が社会の大きな関心や論議を呼んだ先駆けでもあり、責任能力についても法整備のきっかけになった。精神鑑定では統合失調症や多重人格など、さまざまな判断が出された。統合失調症を発病していたとしても責任能力に大きく影響を与えるものではなかったと考えるし、多重人格についても証拠に照らして無理な見方だった。死刑確定、執行はやむを得ないだろう。
◇死刑当然の犯罪--渥美東洋・京都産業大法科大学院教授(刑事法)の話
幼い子供たちの尊い命が奪われた犯罪で死刑は当然。法務省が事件を十分調査し、誤判や恩赦の余地がないと判断をしたのだろう。個別の事件の事情によるので、一概に刑の執行時期が早いかどうかは言えない。宮崎死刑囚のような猟奇的なケースは、若年時の発達上の障害を早期に発見し対策を講じることが重要だが、秋葉原の殺傷事件を見ても、まだ社会的システムの構築は十分でないと感じる。
◇生きたかったのか--「《宮崎勤》を探して」の著書がある評論家、芹沢俊介さんの話
「即刻恩赦を請求してください」という本人の手紙が昨年関係者に届いたと聞いた。彼は生きたかったのだろう。宮崎事件にはその後の神戸連続児童殺傷や池田小事件の原形のようなものを感じる。家族や社会の中で自分の存在が認められていないのは、「透明な存在」と言った神戸事件の少年や、秋葉原事件の容疑者にも通じる。時代の病理性は強まっていて、彼を死刑にしても事件が終わったことにはならない。
◇詐病だったと思う--作家、佐木隆三さんの話
東京地裁で宮崎死刑囚の裁判をすべて傍聴したが、謝罪の言葉が全くなく、すっとぼけていたという印象がある。1審で異なる3通りの精神鑑定の結果が出たが、私は宮崎死刑囚は詐病だったと思っている。近年でも、広島や栃木で下校途中の女の子が殺されるという似たような事件が起きたが、4人もの幼女を手にかけた残虐性は際立っている。
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■解説
◇早まるペース、進まぬ議論
鳩山邦夫法相の下で13人目となる17日の死刑執行は、これまで抑制的に進められてきた執行の在り方が様変わりしたことを強く印象付けた。連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚の執行という衝撃に加え、93年の死刑執行再開以降、最多の執行命令をした法相という事実も重く、執行までの期間も短縮化される傾向にある。
鳩山氏は昨年12月、就任約3カ月で3人の執行を命じた。それ以降、約2カ月ごとに3人(今年2月1日)、4人(同4月10日)、3人(今回)と異例の早いペースで執行が続いている。近年は平均約7年かかっていた判決確定から執行までの期間も、前回の執行では3人が4年以内、今回も宮崎死刑囚の2年4カ月をはじめ3人全員が4年以内だった。
刑事訴訟法の「確定から6カ月以内に執行」という規定を鳩山氏が意識しているのは間違いない。それは、司法の厳罰化で死刑確定者が100人を超える状況を危惧(きぐ)する法務省の意向とも重なる。
ただ、死刑制度を巡ってはさまざまな議論がある。一部の国会議員は仮釈放のない「終身刑」導入に向けた動きをみせている。一方、鳩山氏は省内に「勉強会」を設置し、昨年12月には、執行された死刑囚の氏名などの公表に踏み切ったが、それ以上の議論が省内で進められている様子はない。死刑廃止を訴える団体などからは「鳩山氏が唱える死刑の『自動的執行』がなし崩し的に進んでいる」との批判も出ている。
市民が死刑判決を決めることもある裁判員制度のスタートを見据え、死刑制度に関する一層の議論が求められる。【坂本高志】
==============
◆「告白文」要旨
◇「今田勇子」名で犯行告白
宮崎死刑囚が出した「犯行告白文」の要旨は次の通り(〇〇、△△は被害者名)。
御葬式をあげてくださるとのことで、本当に有難うございました。御陰様で、私の子、共々、やっと「お墓」に葬ってやれることができました。
では、どうして〇〇ちゃんをあやめたかについて告白をいたします。
私は、私の不注意からなる不慮の事故で、5才になる、たった1人の子供を亡くしてしまいました。私は、床下に穴を掘って子供を埋めました。
「〇〇ちゃんは、知っている人でも、すぐについてゆく子ではないだろう。」と、皆さんは言っていますね。当然です。すぐについて来ません。実は、私も〇〇ちゃんを知っていて、〇〇ちゃんも私を知っています。もし私が捕まった時、皆さんは、私を見て驚かれるでしょう。
〇〇さん、残念ながら私は、あなた方の身近に居ます。近くが遠いのです。
私は、引っ越してきた家の床下に埋めた子供の隣りに、〇〇ちゃんの骨を埋め、これで、やっと、ほっとしました。これで全てが終わったのです。
それが、しかしです。やがて、群馬の方で、不明だった子の家のそばで、子供の骨が発見されました。「その骨を△△ちゃんのものとしてもよい。」という発表があった。私は、この事で、ある決心をし、計画をたてたのです。
我が子の骨を、〇〇宅の葬式として、正式に「お墓」に入れてもらおうと思ったのです。私は、送る前に骨を焼きました。段ボール箱に私の子の骨を入れ、〇〇ちゃんの歯数本と、体の骨を少し入れて混ぜました。
私にできることなら、神にさからってでも、あと15年は捕まりたくないと思っています。そう心に思っていれば、もし神様がそれよりも前に、警察官を私の前に持ってきた時に、「あと15年は捕まりたくない」という私の願いをふみにじってくれるから、私の、真に会いたい状態の我が子に、私は対面できる。だから私は、「捕まりたくない」と言ったのです。
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◇連続幼女誘拐殺人事件と裁判の経過
<88年>
8月 埼玉県入間市の幼稚園児(4)が失跡
10月 同県飯能市の小学1年生(7)が失跡
12月 同県川越市の幼稚園児(4)が失跡
<89年>
2月 入間市の園児宅に遺骨届く
〃 朝日新聞社に「今田勇子」名の犯行声明文
3月 入間市の園児宅などに「今田勇子」名の告白文
6月 東京都江東区の保育園児(5)が失跡
7月 宮崎死刑囚を幼女への強制わいせつ容疑で東京都八王子市内で現行犯逮捕。
10月までに4件の誘拐殺人で起訴
<90年>
3月 東京地裁初公判で起訴事実の一部を否認
<97年>
4月 東京地裁が死刑判決
<01年>
6月 東京高裁が宮崎死刑囚側の控訴棄却
<06年>
1月 最高裁が上告棄却。2月に死刑が確定
(出所:毎日新聞 2008年6月17日 東京夕刊)
いくらさん可愛くて本当憧れです(*´ω`)
今回のイベント行きたかった~!(T_T)
次回こそ参戦したいです★
では失礼します