4、これからが日本の「非核」化の正念場
核密約を否定する弁護論の数々
「しかし」、と不破氏は続けます。
「討論記録」の存在をはじめ、核密約をめぐる事実がこれだけ明らかになっても、日本政府は、「核密約はなかった」と言いつづけ、いろいろな議論を持ち出しています。それは、結局、核密約の弁護論になるものですが、不破氏はその一つ一つを、事実にてらして批判しました。
弁護論その一。「文書はあったが密約ではなかった」――「討論記録」という文書の存在を認めれば、そこには、さきほど説明したように、核密約を含む「2節」の全体が日米両者の「了解」事項であることが明記されています。「了解」とは双方が合意していることであって、この文書がまさに日米両国政府の合意文書であることは、明白です。
弁護論その二。「日米間で解釈が違っていた」――「討論記録」の「2節」を素直に読んでごらんなさい。A項で核兵器の持ち込み(地上配備)は事前協議の対象になる、としたあとで、C項で、軍艦や飛行機の出入りは事前協議の対象外だと規定したのです。これが、核兵器にかかる規定だからこそ、秘密事項にしたのではありませんか。
弁護論その三。「アメリカは1991年以後、艦船から核兵器をはずしたから、核持ち込みは過去の話になった」――これは、岡田外相も国会でくりかえし、マスメディアでも結構言われている議論ですが、不破氏は、「それは米国の政策をまったく読み違えたものだ」と指摘しました。
密約にもとづく核持ち込みの危険はいまも続いている
91年のアメリカの決定というのは、ブッシュ政権(父)の時代のことで、たしかに米海軍の全艦船(原子力潜水艦を含む)から戦術核兵器を撤去するというものでした。しかし、3年後の94年、クリントン政権がその政策を訂正し、「水上艦艇に核兵器を配備する能力は廃棄する」が、「潜水艦に核巡航ミサイルを配備する能力は維持する」ことを決定し、「核態勢の見直し」に明記したのです。
不破氏は、ロサンゼルス級の攻撃型原潜のかなりの部分に、「核弾頭さえ積めば核攻撃ができるシステム」を残した、と述べ、「この型の攻撃型原潜が日本に来ていれば、94年以降も核を持ち込んでいる危険がある」ことを明らかにしました。
では、問題のロサンゼルス級の攻撃型原潜は、日本に来ているのでしょうか。不破氏は、2003年から09年までと今年に入ってからの攻撃型原潜の寄港回数をあげました。(表(2))
「去年1年間をとっても攻撃型原潜が来た隻数と回数は17隻59回、そのうちロサンゼルス級は13隻42回です。圧倒的多数が、核兵器積載の可能性のある原潜なのです。今年は1月と2月に3隻の原潜が10回出入りしていますが、2隻6回がロサンゼルス級。日本は、依然として、いざという時には戦術核攻撃のできる海上核戦力の基地として、ずっと使われ続けているのです。
オバマ政権は、『核態勢の見直し』の方針をまだ発表していませんから、今後の問題としては、戦術核の配置の仕方が変わってくる、ということもあるかもしれません。しかし、核配置というものは、アメリカの戦略いかんでいつでも変えられるものですから、この危険を断ち切ろうと思ったら、核密約をきっぱり廃棄する以外に道はありません」
日本政府はなぜ、核密約の廃棄に踏みこめないのか
日本政府はなぜ、核密約の廃棄に踏みこめないのか。不破氏は、そこには、沖縄の普天間問題で鳩山内閣がゆきづまっていることと、同じ議論――「核抑止力」論があるのではないか、と指摘しました。
日本はアメリカの核の傘で守られているのだから、核がなくなったら困る、という「核抑止力」論です。
「アメリカの議会が昨年5月、戦略体制についての報告書を発表しました。そこには、“アジアでは、われわれはロサンゼルス級潜水艦上の核トマホークに大きく依存している、報告をまとめる過程で、アジアの若干の同盟諸国がこれらの核の退役に懸念するだろうことが明白になった”と書いてありました。そして、この報告書には、意見を聞いた同盟諸国の外交官のリストがついていて、その筆頭に、日本大使館のメンバー4人の名前が書いてありました。結局、日本を守る『抑止力』だから、現状を認めるしかない、というのが、最後に残された理屈なのです」
アメリカの核戦力は「抑止力」ではない
こう述べた不破氏は、「核抑止力」などとさかんにいうけれど、51年の旧安保条約の時代をふくめ、米国は日本の基地を使って計画してきた核戦争計画の相手は、50年代の中国やベトナムなど、核をもっていなかった相手ばかりだったではないか、と指摘しました。
「日本を基地にしたアメリカの核戦力は、『抑止力』ではなく、『戦争力、侵略力』です。『抑止』という聞こえのいい看板のもとに、日本を、攻撃的、侵略的な核戦争の足場にする、これが『核密約』だということをはっきり見る必要があります」
不破氏は、この大もとはいまも変わらないことを強調しました。
「アメリカの軍事戦略のもっとも危険な特徴は、その基本が、核先制攻撃戦略だという点にあります。先制攻撃とは相手にやられないうちに先に攻撃する、という戦略。そしてその先制攻撃に、必要な場合には、核兵器も使うというのです。
いま世界では、核保有国がまもるべき最小限の基準として、
――非核保有国には核攻撃はしない、
――相手が誰であれ、先制的な核兵器の使用はしない、
という態度を求める声が世界的に起こっていますが、アメリカはどうしてもそれに応じようとはしません。それは、核先制攻撃戦略をとっているからです。
そのことを考えても、被爆国日本の国土を、こんな危険な戦略の足場にする核密約の存続を許すわけにはゆきません。
私は、みなさんとともに、日本政府が、ごまかしの議論はもうやめにして、日米間に核密約があったことをはっきりと認めてこれを廃棄する立場を明らかにし、『非核日本』への道を進むことを強く要求したいと思います」
5、「非核の世界」めざし被爆国の声をいまこそ
「世界の流れはいま、核兵器の廃絶を現実のものとする方向に大きく変わろうとしています」――不破氏はこう指摘し、昨年12月の国連総会で圧倒的多数で採択された核兵器禁止・廃絶条約の早期締結を求める決議でも、今年5月にニューヨークで開催されるNPT(核不拡散条約)再検討会議でも、核廃絶条約への交渉開始あるいはそのプロセスの早期開始が問題になっていることを紹介しました。
「いま大事なことは、核兵器廃絶という目標を、将来の目標というだけにしないこと、そこに向かって現実に足を踏みだすことです。昨年4月、オバマ米大統領が、“核兵器廃絶は米国の国家目標だ”と宣言したとき、私たちは、これを歓迎して、志位委員長が大統領あての書簡をだしました。その書簡では、大統領の宣言を評価すると同時に、これを先々の目標にして、当面はあれこれの部分措置だけをやろう、というのではまずい、合理的な部分措置はそれとしてすすめながら、核保有国が自分たちの核兵器をなくす条約の交渉を早く始めるべきだ、ということを提案しました。
いまの世界では、国連の決議も、NPTの会議の計画も、だいたいその方向に焦点があってきています。まさに、日本国民の核兵器廃絶の願いが、世界政治に実るもっとも重要な時期を迎えています。
そういう時に、日本がアメリカとの核密約体制を残し、自分の国土を核戦争のアジア最大の拠点にしたままでいて、どうして『核兵器のない世界を』の声を、被爆・日本国民の切実な声として世界にとどけることができるでしょうか。核密約を廃棄し、『非核三原則』が日本全体で現実のものとなる、こういう『非核日本』を実現してこそ、世界に被爆日本国民の真剣な声を発信できる、これが大事だと強調したいのです」
非核「神戸方式」が輝きを増す時代
「核密約を廃棄したあとの日本はどうなるか」――不破氏は、その展望を語りました。
「核密約を廃棄したあとも、残念ながら日米安保条約はまだ生きています。しかし、事前協議条項が、はじめて生命力をもつ、このことが大事です。
そうしたら、日本に入港するアメリカの艦船は、次の二つの道のどちらかを選ばなければならなくなります。一つは、日本政府に申し入れて、事前協議の申し入れをする道です。もう一つは、自分は核兵器を持っていないという『非核証明』を関係機関に提出する道です。『非核三原則』のある国に入ろうと思えば、証明なしには入れない。つまり、日本全体が、非核『神戸方式』になるのです」
不破氏は、いまから35年前の3月18日、神戸市議会が、「神戸港には核搭載軍艦は入れない」という決議をおこない、それを受けた神戸市が具体化の方法として「非核証明書」の提出という方式を編み出したことをふりかえり、「これはよく考えた、合理的な方式でした。実際、事前協議が空文化している日本では、神戸港の平和を守る道はこれしかなかったのです」と述べ、最後に次のように会場に呼びかけました。
「核密約を廃棄した日本では、国土全体が非核『神戸方式』で守られます。そういう意味では、35年前に神戸のみなさんが生みだした知恵が、今日、『非核日本』の前途を照らし出しているのです。神戸での『非核』の声が日本全体のものとなり、世界でも『非核』の波が広がる、そういう新たな大きなうねりを生みだせるように、お互いに努力しあいましょう」
(出所:日本共産党HP 2010年3月25日(木)「しんぶん赤旗」)
核密約を否定する弁護論の数々
「しかし」、と不破氏は続けます。
「討論記録」の存在をはじめ、核密約をめぐる事実がこれだけ明らかになっても、日本政府は、「核密約はなかった」と言いつづけ、いろいろな議論を持ち出しています。それは、結局、核密約の弁護論になるものですが、不破氏はその一つ一つを、事実にてらして批判しました。
弁護論その一。「文書はあったが密約ではなかった」――「討論記録」という文書の存在を認めれば、そこには、さきほど説明したように、核密約を含む「2節」の全体が日米両者の「了解」事項であることが明記されています。「了解」とは双方が合意していることであって、この文書がまさに日米両国政府の合意文書であることは、明白です。
弁護論その二。「日米間で解釈が違っていた」――「討論記録」の「2節」を素直に読んでごらんなさい。A項で核兵器の持ち込み(地上配備)は事前協議の対象になる、としたあとで、C項で、軍艦や飛行機の出入りは事前協議の対象外だと規定したのです。これが、核兵器にかかる規定だからこそ、秘密事項にしたのではありませんか。
弁護論その三。「アメリカは1991年以後、艦船から核兵器をはずしたから、核持ち込みは過去の話になった」――これは、岡田外相も国会でくりかえし、マスメディアでも結構言われている議論ですが、不破氏は、「それは米国の政策をまったく読み違えたものだ」と指摘しました。
密約にもとづく核持ち込みの危険はいまも続いている
91年のアメリカの決定というのは、ブッシュ政権(父)の時代のことで、たしかに米海軍の全艦船(原子力潜水艦を含む)から戦術核兵器を撤去するというものでした。しかし、3年後の94年、クリントン政権がその政策を訂正し、「水上艦艇に核兵器を配備する能力は廃棄する」が、「潜水艦に核巡航ミサイルを配備する能力は維持する」ことを決定し、「核態勢の見直し」に明記したのです。
不破氏は、ロサンゼルス級の攻撃型原潜のかなりの部分に、「核弾頭さえ積めば核攻撃ができるシステム」を残した、と述べ、「この型の攻撃型原潜が日本に来ていれば、94年以降も核を持ち込んでいる危険がある」ことを明らかにしました。
では、問題のロサンゼルス級の攻撃型原潜は、日本に来ているのでしょうか。不破氏は、2003年から09年までと今年に入ってからの攻撃型原潜の寄港回数をあげました。(表(2))
「去年1年間をとっても攻撃型原潜が来た隻数と回数は17隻59回、そのうちロサンゼルス級は13隻42回です。圧倒的多数が、核兵器積載の可能性のある原潜なのです。今年は1月と2月に3隻の原潜が10回出入りしていますが、2隻6回がロサンゼルス級。日本は、依然として、いざという時には戦術核攻撃のできる海上核戦力の基地として、ずっと使われ続けているのです。
オバマ政権は、『核態勢の見直し』の方針をまだ発表していませんから、今後の問題としては、戦術核の配置の仕方が変わってくる、ということもあるかもしれません。しかし、核配置というものは、アメリカの戦略いかんでいつでも変えられるものですから、この危険を断ち切ろうと思ったら、核密約をきっぱり廃棄する以外に道はありません」
日本政府はなぜ、核密約の廃棄に踏みこめないのか
日本政府はなぜ、核密約の廃棄に踏みこめないのか。不破氏は、そこには、沖縄の普天間問題で鳩山内閣がゆきづまっていることと、同じ議論――「核抑止力」論があるのではないか、と指摘しました。
日本はアメリカの核の傘で守られているのだから、核がなくなったら困る、という「核抑止力」論です。
「アメリカの議会が昨年5月、戦略体制についての報告書を発表しました。そこには、“アジアでは、われわれはロサンゼルス級潜水艦上の核トマホークに大きく依存している、報告をまとめる過程で、アジアの若干の同盟諸国がこれらの核の退役に懸念するだろうことが明白になった”と書いてありました。そして、この報告書には、意見を聞いた同盟諸国の外交官のリストがついていて、その筆頭に、日本大使館のメンバー4人の名前が書いてありました。結局、日本を守る『抑止力』だから、現状を認めるしかない、というのが、最後に残された理屈なのです」
アメリカの核戦力は「抑止力」ではない
こう述べた不破氏は、「核抑止力」などとさかんにいうけれど、51年の旧安保条約の時代をふくめ、米国は日本の基地を使って計画してきた核戦争計画の相手は、50年代の中国やベトナムなど、核をもっていなかった相手ばかりだったではないか、と指摘しました。
「日本を基地にしたアメリカの核戦力は、『抑止力』ではなく、『戦争力、侵略力』です。『抑止』という聞こえのいい看板のもとに、日本を、攻撃的、侵略的な核戦争の足場にする、これが『核密約』だということをはっきり見る必要があります」
不破氏は、この大もとはいまも変わらないことを強調しました。
「アメリカの軍事戦略のもっとも危険な特徴は、その基本が、核先制攻撃戦略だという点にあります。先制攻撃とは相手にやられないうちに先に攻撃する、という戦略。そしてその先制攻撃に、必要な場合には、核兵器も使うというのです。
いま世界では、核保有国がまもるべき最小限の基準として、
――非核保有国には核攻撃はしない、
――相手が誰であれ、先制的な核兵器の使用はしない、
という態度を求める声が世界的に起こっていますが、アメリカはどうしてもそれに応じようとはしません。それは、核先制攻撃戦略をとっているからです。
そのことを考えても、被爆国日本の国土を、こんな危険な戦略の足場にする核密約の存続を許すわけにはゆきません。
私は、みなさんとともに、日本政府が、ごまかしの議論はもうやめにして、日米間に核密約があったことをはっきりと認めてこれを廃棄する立場を明らかにし、『非核日本』への道を進むことを強く要求したいと思います」
5、「非核の世界」めざし被爆国の声をいまこそ
「世界の流れはいま、核兵器の廃絶を現実のものとする方向に大きく変わろうとしています」――不破氏はこう指摘し、昨年12月の国連総会で圧倒的多数で採択された核兵器禁止・廃絶条約の早期締結を求める決議でも、今年5月にニューヨークで開催されるNPT(核不拡散条約)再検討会議でも、核廃絶条約への交渉開始あるいはそのプロセスの早期開始が問題になっていることを紹介しました。
「いま大事なことは、核兵器廃絶という目標を、将来の目標というだけにしないこと、そこに向かって現実に足を踏みだすことです。昨年4月、オバマ米大統領が、“核兵器廃絶は米国の国家目標だ”と宣言したとき、私たちは、これを歓迎して、志位委員長が大統領あての書簡をだしました。その書簡では、大統領の宣言を評価すると同時に、これを先々の目標にして、当面はあれこれの部分措置だけをやろう、というのではまずい、合理的な部分措置はそれとしてすすめながら、核保有国が自分たちの核兵器をなくす条約の交渉を早く始めるべきだ、ということを提案しました。
いまの世界では、国連の決議も、NPTの会議の計画も、だいたいその方向に焦点があってきています。まさに、日本国民の核兵器廃絶の願いが、世界政治に実るもっとも重要な時期を迎えています。
そういう時に、日本がアメリカとの核密約体制を残し、自分の国土を核戦争のアジア最大の拠点にしたままでいて、どうして『核兵器のない世界を』の声を、被爆・日本国民の切実な声として世界にとどけることができるでしょうか。核密約を廃棄し、『非核三原則』が日本全体で現実のものとなる、こういう『非核日本』を実現してこそ、世界に被爆日本国民の真剣な声を発信できる、これが大事だと強調したいのです」
非核「神戸方式」が輝きを増す時代
「核密約を廃棄したあとの日本はどうなるか」――不破氏は、その展望を語りました。
「核密約を廃棄したあとも、残念ながら日米安保条約はまだ生きています。しかし、事前協議条項が、はじめて生命力をもつ、このことが大事です。
そうしたら、日本に入港するアメリカの艦船は、次の二つの道のどちらかを選ばなければならなくなります。一つは、日本政府に申し入れて、事前協議の申し入れをする道です。もう一つは、自分は核兵器を持っていないという『非核証明』を関係機関に提出する道です。『非核三原則』のある国に入ろうと思えば、証明なしには入れない。つまり、日本全体が、非核『神戸方式』になるのです」
不破氏は、いまから35年前の3月18日、神戸市議会が、「神戸港には核搭載軍艦は入れない」という決議をおこない、それを受けた神戸市が具体化の方法として「非核証明書」の提出という方式を編み出したことをふりかえり、「これはよく考えた、合理的な方式でした。実際、事前協議が空文化している日本では、神戸港の平和を守る道はこれしかなかったのです」と述べ、最後に次のように会場に呼びかけました。
「核密約を廃棄した日本では、国土全体が非核『神戸方式』で守られます。そういう意味では、35年前に神戸のみなさんが生みだした知恵が、今日、『非核日本』の前途を照らし出しているのです。神戸での『非核』の声が日本全体のものとなり、世界でも『非核』の波が広がる、そういう新たな大きなうねりを生みだせるように、お互いに努力しあいましょう」
(出所:日本共産党HP 2010年3月25日(木)「しんぶん赤旗」)