幾日も船に揺られながら故郷の国ポーランドに戻ってきた。
幼かったヨアンナにとって、父の生まれ育った国。
母の生まれ育った国。
そして自分が生まれたかけがえのない思い出の地。
そこにはもう、自分たちの想い出を紡いだ人たちの欠片も残ってはいない。
住んでいた家も、裏庭も、石像のダニエルも、アガタおばさんも、ウォルフおじさんも。それに教会の神父さんも、あのいたずらヤンすらも・・・・。
5歳まで過ごした楽しい想い出と表裏一体で、思い出したくない悲しい思い出も。
でもそれ等は総て心の奥底にしまっておくべき大切な記憶である。
そう思ったら、何だかここも愛おしくさえ感じる。
長い長い航海の末、ようやくたどり着いた故国。
ヨアンナは心に誓った。
もう不安な心は捨てよう。天国の父のため、母のため、一所懸命、精一杯生きて、自分が天国に行ったとき胸を張って会えるように。
それと同時にヨアンナにはその自覚は無いが、日本で過ごした生活の中で培った経験や学びは心の中の一本の芯となり、思考と人格を形成する上で基礎となる柱となった。
彼女の立ち居振る舞いや、何気ないリアクション、それに口癖さえもそれらの影響を見て取れるようになった。
しかも時間が経過し、成長するごとに顕著となる。
ヴェイヘローヴォ孤児院
いつ終わるとも知れない程長い船旅の末、孤児一行はバルト海沿岸のヴェイヘローヴォ孤児院に引き取られ保護された。
入所後、何と!!
驚くべきことに、首相や大統領までが駆け付け、歓迎してくれた。
彼ら孤児の施設での日課の一番初めは、朝、庭に集まり「君が代」を斉唱する決まり。
その他でも福田会での規律と習慣と教訓は、当たり前のように引き継がれた。
その結果、孤児院出身者の中には医者、教師、法律家など、国の復興の最前線で活躍する人材が数多く育った。
他国からの屈辱の侵略を受け、そして不屈の闘志を以って独立。
苦難の道のりは民衆だけでなく、国家そのものの運命でもあった。
何もかもが再生・復活の対象の中、ヨアンナ達帰国孤児にとって、生活環境と教育環境の持続的改善が最重要課題だった。
荒廃と再生。
学校の建設と再生を急ピッチで進めなければならない。
ヴェイヘローヴォ孤児院周辺の教育環境も、当然満足できる環境とは程遠かった。
しかも当時、子供が教育を受けるには、一般的にそれなりの負担も必要だった。
教育は無料。そんな現在の常識は通用しない時代である。
孤児にとって過酷な環境なのはここでも変わらない。
でも逆境で歯を食いしばり、頑張って跳ね返そうとする気質は頑固なポーランド人の特性かもしれない。
教育が将来の国家の運命を決するとの思いは、ヴェイヘローヴォに息づいていた。
ヨアンナ達孤児の帰還は、同時に国家復興の担い手でもあったのだ。
ヴェイヘローヴォ孤児院は福田会託児所とは環境が全く違ったが、自分たちが力を合わせて作り上げていく明るい希望に満ちていた。
服従と戦乱が奪った誇りと活力を、再び取り戻した喜びに満ちていた。
孤児たちは船中生活に引き続き、孤児院内にあっても福田会滞在中の習慣や学びを忘れずにいた。
それは子供たちだけでない。
日本に同行した大人たちの中からも、特に教育に携わったメンバーが中心になり、
急ごしらえの学校をつくり、孤児や周辺の子供たちの教育にあたった。
ヨアンナも当然学校に通う事になる。
仲良しのエヴァと机を並べ、
「学校で授業を受けるのは新たな楽しみ」とその日を指折り待ち、そしてその思いは遂げられた。
学校生活での学びと交流は、帰国という環境の変化に順応するための格好の手段となった。
皆の希望を一身に集めた新しい学校は、福田会時代の舎監のレフは校長に、保母さんの何人かは先生兼、ヴェイヘローヴォ孤児院の世話役になっていた。
ヨアンナが小学校6年生になった頃、不安定だった学校の環境も軌道にのり、日本での経験と学びを活かした授業も少しずつ実践できるようになった。
同室だったエディッタ姉さんとハンナ姉さんは、やがて先輩卒業生として学校運営に関わるが、相変わらず(勉強が苦手だった彼女らは・・・・ううん・・・残念。)授業の中身ではなく、運動会やピクニックなどの行事に熱心だった。
一方ヨアンナは、得意な歌で年少さんの心を掴む。
特にポーランドに古くから伝わり、父がよく歌った『はたけのポルカ』と、日本で覚えた『七つの子』は十八番で人気が高かった。
はたけのポルカ
さいしょのはたけにキャベツをうえたらね
ひつじさんが むしゃむしゃたべたよ
はたけをまわって ポルカを おどろう
ひつじさんといっしょに ポルカを おどろう
つぎののはたけに じゃがいもうえたらね
こぶたちゃんが もぐもぐたべたよ
はたけのまわって ポルカを おどろう
こぶたちゃんといっしょに ポルカを おどろう
そのまたつぎの はたけに こむぎを うえたらね
にわとりさんが コケコッコたべたよ
はたけのまわって ポルカを おどろう
にわとりさんいっしょに ポルカを おどろう
七つの子
からす なぜなくの
からすはやまに
かわいい ななつのこがあるからよ
かわい かわいと
からすは なくの
かわい かわいと
なくんだよ
やまの ふるすへ
いってみて ごらん
まるい めをした
いいこだよ
ヨアンナにとって、このふたつの歌は終生悲しい時、寂しい時の心を癒してくれる
『心の歌』であった。
そうして初等教育、中等・高等教育で優秀な成績を収め、卒業したヨアンナは美しい少女へと成長した。
学校での思い出。
10歳を過ぎた頃、先生からクッキーの焼き方を習ったヨアンナ。
それから毎年学校と孤児院合同ピクニックの前の日になると、お菓子を焼くのが恒例となった。
女子たちが競ってクッキーを焼くと、楽しみにしていた男子が群がる。
お礼にその日のために覚えたダンスや歌を、女子たちのために懸命に披露した。
ヨアンナのクッキーをアレンジしたお菓子はとても人気が高く、いつも最初に完売になる。
そして終盤の合唱でも、やはりヨアンナが中心だった。
誰からも好かれるヨアンナ。
当然男子からのお誘いも経験している。
特筆なのはエミルからの告白。
放課後孤児院に帰る前のひとりの時を狙って、モジモジしながら待ち受けていた。
「ヨアンナ、ええと・・・、ええと・・・」
「何?」
「ええと・・・、話がある。」
「だから何?」
虫男エミルもそれなりに成長していたが、ヨアンナにとって彼は変わらずハンナ姉さんの恋人であり、虫男の印象が消えないでいた。
多少ぞんざい気味の扱いになるのは仕方ない。
彼はめげずに意を決して
「僕はヨアンナが好きだ!」
ヨアンナはびっくりした。何と応えよう?
「エミル、あなたはハンナ姉さんと付き合っているじゃない?
それなのに、どうして私にそんな事言うの?」
「ハンナは僕と仲良くしてくれるけど、付き合っちゃいないさ。
僕の好きなのはヨアンナだもの。」
「酷い!!ハンナ姉さんが可愛そう!!よくそんな事が言えるわね!」
そう言って睨みつけた。
エミルはそう言われると明らかに怯み、スゴスゴと引き下がった。
しかし暫くの間、未練タラタラな態度を見せ、ヨアンナを困惑させる事となった。
そんなエミルのヨアンナに対する横恋慕(?)は、その後の波乱の種となる。
(エミル~ぅ・・・・、シッカリせえよ!!)
つづく