一年の研修を終え、前任首相の退任式、引継ぎ、平助の就任式を経て、第 四代竹中平蔵内閣が正式に発足する事となる。
それに伴い第三代岸畑章夫内閣が総辞職、特別国会が召集された。
その後、国会決議(衆参ネット政治委員会審議委員が、ネット国民投票の結果に基づき行う決議)を経て竹中平蔵第四代内閣総理大臣を正式に指名した。
組閣のメンバーも既に(一年前に)決まっているため、自動的に内閣発足となる。
冒頭、平蔵は所信表明演説を行う。
しかし壇上の平蔵は中々口を開かない。それはそうだろう。
一年の首相研修で各省庁を回り研鑽を積むうち、様々な事実と現状を知った平蔵。
頭の中というより、胸の中を重く複雑な想いが駆け巡り、重責のプレッシャーより今まさにこの国で泣いている人、苦しんでいる人、悩んでいる人が切実に求める救いの手を何としても早急に差し伸べたいとの思いばかりが先走り、何から話そうか思い惑うのだ。
本当に苦しんでいる人々が、平蔵の演説にどれだけ耳を向けるのか分からない。
しかし、暗闇に閉じ込められ、救出をひたすら待つ被災者のように、救援の呼びかけを固唾を飲んで待つ人々は確実に存在する。
その人々に「お~い!助けに来たよ!」と叫ばなければならないのだ。
平助はこの所信表明演説に臨む数日前から板倉にアドバイスを受けている。
「平助さん、首相の所信表明演説って、そんなに肩肘張って臨むものではありませんよ。
そりゃ、ネット政変以前の演説は国民向けと言うより、議会向けにあれをやりますとか、これをやりますとかのオンパレードで、中身の無い実行不能な政策発表の場でしかなかったけれど、今はそんなパフォーマンスは必要ありません。
やるべき政策は、国民のネットアンケートが決めるのですから。
平助首相が心がけなければならない事は、如何にして実行するのか?です。
そのために多くの国民の信用を得ることです。
だから内容の伴わない演説では、聞く者に何も伝わりません。
国民に寄り添い語りかけるような話し方で、心に響くような内容じゃなきゃ何も伝わらないんです。
間違っても国会の場ということを考え、話す内容のレベルとか次元とか、高尚なお話をしようなどと思わないでくださいね。
主権者である国民に寄り添い、語りかけるのです。
何が相応しいか?
それは自分らしい、背伸びをしない自分を正直に、誠実に見せる事。
それが今の時代のネットで決められた国の代表に求められる資質なのですから。
良いですか?分かりましたか?」
そう云われ、半分以上理解できなかったが、それなりに納得しこの場に立っている。
だから国会議事堂の雰囲気に呑まれず、余計な力を抜き、落ち着いた気持ちで語ろうと決めていた。
ふと、この場を中継するテレビクルーが視界に入る。
そのうちのひとりがしきりに欠伸をしていた。
連日の仕事疲れで相当眠いのだろう。何度も何度も欠伸をし、そのうち流石に不謹慎と思ったか、欠伸を無理やり押し殺す様子に、平助は思わず
「フッ!」と一瞬、微かに笑った。
そして自然に言葉が出てくるようになる。
「唐突で、この場に相応しくない話から始めましょう。
こいつは頭がおかしいのか?と思われるでしょうが、どうか最後までご清聴お願いします。
私はある人が欠伸をするのを見ました。
そしてその様子を見て、ある事に気づいたのです。
それは欠伸をするのは眠い証拠。どれだけ我慢しても眠さを解消しなければ欠伸は止まらない。
でも一度熟睡してしまうと、もう欠伸はしない。
寝ている間はいびきをかく事はあっても、寝ながら欠伸をする人は見た事がないという事実に気づいたのです。
そんな事今更気づいたの?
そう、遅すぎるかもしれませんね。
でも気づくのが遅すぎても、それに気づくことが尊いのだと思います。
何が言いたい?
今、この国の人々は疲れ果てています。
欠伸を必死で噛み殺し、寝る間を割き頑張っています。
欠伸は不謹慎ですか?失礼ですか?その場に相応しくありませんか?
欠伸は罪ですか?
では何故、皆さんは欠伸の原因を解消しようと思わないのでしょう?
仕事や勉強や家事や様々な活動。
そうした日常に追われ疲れ果てているのに、何故忙しさにかまけ、寝る間を惜しむのでしょうか?
今、この国は疲れ果てています。
十分眠れば欠伸を解消できると知っているのに、です。
我が国日本以外の諸外国には、もっとのんびり暮らしている人々が大勢います。
勤めている人でも、昼休みに昼寝ができるほど余裕を持てる職場環境にいる例はたくさんあります。
翻って我が国の国民の皆さんは寝る間を惜しみ、歯を食いしばり頑張っています。
なのに、その頑張りが報われる人ってどれだけいるのでしょう?
私は欠伸について、気づくのが遅い人間でした。
そして私はこの場に立つにあたり、一年前から専門的な研修を受けてきました。
政治・行政の現場で様々な喫緊の問題を抱える現状を知りました。
研修を受けなければ気づかない人間でもありました。
気づくのが遅い人間です。
でも気づくのが遅いから、その問題の解決を諦め、放置して良いのでしょうか?
否!気づいたら直ちに行動するのが私の責務です。
疲れ果て、気力を失いかけている人々に活力を提供し、頑張った分、その成果に正当に応え、心と身体に安息を齎す政治を実現しなければならない。
欠伸を我慢する生活から、その原因である疲れや悩み・不安を取り除き、安心して眠れる環境を作り出す。
サボるのではなく、誰もが心と身体にゆとりを持ち、希望と安心を持って暮らせる、そんな社会を目指したいと思います。
つまり国民の皆さんからいただいたご意見から、この国の負の原因である不安材料や不合理な材料を取り除き、より充実した環境を提供する事。
それらを実行するのが内閣の責務であります。
だから、これら私たちの姿勢と訴えをできるだけ多くの皆様に届け続けるために努力し、実現に向けて励みます。
ここでもうひとつ、おバカであまり相応しくない例え話を。
これから一年、私が訴え続け、実行し続ける事は、そのひとつひとつの言葉と行動に命を吹き込み、私の持つ唯一の実現に向けた強力な武器にするつもりです。
私はそのひとつひとつの言葉や行動を命がけで続けます。
そのため私は出産を控えた『亀』になります。
それはどういうことか?
亀は出産間近になると特定の浜辺に行きます。
そして月夜に涙を流しながら砂場に掘った穴の中に卵を出産します。
そして幾日も経過した後、その無数の卵たちは孵化し、一斉に波打ち際に向かって必死に走ります。
けれどその無数の亀の赤ちゃんは、その全てが海に辿り着ける訳ではありません。
弱肉強食のこの世にあって、彼らは格好の餌食となり、多くの者たちが鳥などに捕食されてしまします。
運よく海までたどり着けても、亀の赤ちゃんは、今度は魚に狙われ、多くがその命を落とします。
その結果、一回の産卵で大人になるまで生き残れるのは、ほんの数匹のみ。
亀やその他の生き物の一番の使命は子孫を残す事。
その使命を達成出来るのは、ほんのひと握りであり、命がけなのだと思うのです。
だから私は自分の使命を達成するため、亀の子の生き様のように命がけで言葉を発し、命がけで行動できるよう、手本としたいと思います。
『命がけ?』何だか昔の政治家たちが選挙の時だけ発するポーズとしか思ないフレーズですが、私は彼らのような野心や欲を満たすための道具として語っているのではありません。
私に与えられた期間は一年のみ。
その間、私が見知った深刻な現状を少しでも早く、良くするためには、悩み・苦しみ・絶望の暗闇から抜け出せずにいる人々に対し、真剣に救出の呼びかけを続ける必要があるのです。
この社会には一刻の猶予も無い状態にいる人が大勢います。
それらの人々の想いに応えるために、必死の呼びかけや行動を続けなければなりません。
しかし、そんな呼びかけや行動はいくらやってもなかなか彼らには届きません。
様々な障害や妨害に合い、力尽き途中で消え去り、死んでしまうのです。
だから、呼びかけを待つ人々に届くのはほんの一握り。
成人した亀が太郎を竜宮城に連れていけるのは僅かでしかありません。
でも諦めず、続けなければ多くの人を救えないのです。
だから私は命がけの亀の子を産む親亀になります。
そして与えられた一年、自分の言葉で、行動で卵を産み続け、海に向かって命がけの赤ちゃんを放ち続ける決意です。
そしてその私の決意と行動を見て、後に続く亀の有志が出てくる事を期待して。
そのために私は与えられたこの一年、その全てを全力で立ち向かいます。
しかし今の私個人には、国民の皆様を導くための何の力も能力もありません。
何故なら私は只の庶民であり、無力な一般人でしかないからです。
学歴も財産も人材のネットワークも持たない私に、一体何ができるでしょう?
ただ、そんな私でも、ひとつだけ誰にも負けない力が有ります。
それは決して諦めず訴え続ける強い意思です。なにものにも屈しない決意です。
私がそんな姿勢を示し続ける事で、必ずや国民の皆様の支持を得、協力していただけると信じて職務を全うしたいと思います。
皆様の期待が力となり、この国を変えてゆくのです。
そしてその流れがその後の規範となり、私が任期満了で退任した後、後に続く人々の力となるよう、強固な道を作るため頑張ります。
首相としての私の立場は、明日のあなたの姿です。
私のように、いつ誰が首相になってもおかしくないのが今の日本です。
決して他人事などではありません。
だからそのつもりで私を見てください。
見守ってください。
自分たちひとりひとりの力を信じて。
令和〇年〇月×日
第4代内閣総理大臣 竹藪 平助
この演説以降、平助はアクビのカメ首相と呼ばれるようになるとは、この時全く思っていなかった。
つづく