3月11日の地震のあとに、家に帰るときに見たもの。
余震が絶え間なく続いた。
信号は消えている。
渋滞して、揺れが来るたびに止まる車の列のなかで、呆然と町を眺めた。
道沿いのブロック塀が崩れ落ち、車の展示場の一面のガラスが割れて粉々になっているのを見て、ようやく「これは震災というものなのかなあ」などと考え始めていた。
前の車の助手席に乗っていた高校生の男の子が、卒業式を終えてきたらしく、卒業証書の筒を窓から出して振り回していた。
やけに高揚してはしゃいでいた。
その子を見ながら、ふと神戸の震災のあとに読んだ、なにかの記事を思い出していた。
管理されつくしたバーチャル的な現代都市が崩壊したあとに、目の前に噴出したリアリティによって、人々は現存感を得たのだとか・・・そういった内容だったと思う・・・
なぜそんな記事を思い出したのかわからないが・・・
日が経つにつれて、実感に近いものに変わってくる。
安全管理の嘘。
危機管理の薄弱。
いまだに笑えない4月1日。