たくさんお悔やみの言葉をいただきありがとうございます。
とても穏やかな最期でした。
こんな穏やかな死があるのか、と思いました。
私の隣でいつものように眠って、朝起きたら心臓が止まっていました。
いつもと同じ顔で、また動き出すのではと思うほどでした。
ぱんきち、私の言うこと聞きすぎです。
外に出る猫でしたので、ずっと言い聞かせていました。
お外に出てなにかあったら、もう会えないんだよ。
ぱんきちは、私のそばで生きて、死んでいくんだよ。
去年お医者にもう無理といわれたときには、
もう少しそばにいて。
私の寿命を分けてあげるから、もう少しだけそばにいて。
そして、今度も、
大丈夫だよ。
こわくないよ。
ぱんきちはたくさん幸せをくれたから、たくさんがんばったから、きっときれいな、たのしいところに行けるよ。
苦しまないで、行けるよ・・・
ぜんぶ、私の言ったことを叶えてくれました。
去年から、思う存分、お世話させてもらえました。
たくさん、お別れもできました。
お別れの言葉を言ったとき、ぱんきちの目から大粒の涙が2粒こぼれました。
思い残すことは、ありません。
本当は去年のはずだったのに、極限まで痩せても、がんばって、たくさんゴハンを食べて、生きて、私に答えてくれていたのだと思います。
思い残しのないように、してくれたのは、ぱんきちです。
正直、こんなになるまでがんばらせてしまったという負い目はありました。
ごめんなさい、ありがとう、毎日、繰り返していました。
先週あたりから、なんとなく、様子が違うとは思っていました。
今度具合が悪くなったら、病院には連れて行かず、そのまま見守ろう・・・と思っていました。
21日に、足に力が入らなくなり、立てなくなりました。
でも、猫缶はその日も3缶たいらげました。
寝たきりでしたが、食欲はありました。
最期の日は、私が少しずつ猫缶の中身を指先ですくって、鼻先に持っていくと食いついてきました。
水も、自力で顔を上げていつものお皿から飲んでいました。
ですから、万に一つ、また立ち上がるのではという望みも持っていました。
その日は、少し早めに一緒に布団に入り、そのまま眠ってしまいました。
夜中、目を覚まし、時計を見ると2時20分頃で、トイレに起き出したのですが、なぜか真夜中で誰も聞いていないのに、
ぱんちゃん、がんばったものね。
わたしもがまんしないとね。
大丈夫。
そう口をついて出たことは覚えています。
なんとなく10分くらい起きていて布団に戻り、ぱんきちの体を撫で、後ろ足の肉球が冷たかったので、手で包むように温めながら眠ってしまいました。
朝7時に起きたときは、体はまだ温かく、かたくなってもいませんでしたので、朝方亡くなったのでしょう。
しばらく抱いて寝ていたのですが、体が固まる前に箱に入れたほうが言いと友達からメールで教わり、そうしました。
春に生まれた子なので、チューリップを入れたかわいい花束を作ってもらい、お供えしました。
箱の中のぱんきちは、まるでかわいいぬいぐるみのようだなあ・・・と思いました。
そして昨日の朝、荼毘に付しました。
火葬場へ運ぶときに、箱のふたを閉めると、アマゾンの箱だったので送り状が貼ってあり、私宛になっていました。
ぜんぜん予期したことではなかったのですが、やっぱり自分は、自分宛に、ぱんちゃんを送るんだな・・・と思いました。
じつはもうひとつだけ、ぱんちゃんと約束をしたのですが、それは誰にも内緒です。
今はいつもいた部屋に、一緒にいます。
土日にすべて済むように、ぱんきちが気を使ってくれたとしか思えないのですが、ごめん、今日は会社休みました。
こんな幸せな別れ方はなかったな、と思うのですが、
今までのスピードで生きれない。
よくわかりませんが、そんな気持ちです。