猫依存

愛猫の思い出と漫画と日々の暮らし

3週間経って

2009-11-14 19:59:34 | 日記

初めて夢を見ました。

よく覚えていないのですが・・・

見たかどうかも不確かなほど、うっすらと覚えているだけなのですが・・・

よそへ出かけたり、買い物をしていたり、夢の中でも私はあたふたしてました。

まったく、ストーリー的にも時間的にも、細切れな夢だったのですが、夢の断片の中で、なんとなく、手の中を見るとちっちゃいぱんきちがいました。

ごろごろ言いながら、気持ち良さげに目を閉じていました。

夢の中で買い物をして、レジに行こうとして、あれーカバンがないーとか言ってるときにに目が覚めましたが、なんだか、顔がほころんでいました。

ああ、そうだ、ぱんきちが出てきた・・・と思い出したら、涙が出てきました。

ここ数日、妙な方向へ気持ちが変わってきていました。

ほんの数週間前、自分はぱんきちと暮らしていた。

まだまだ生きてくれると信じてのほほんと。

そんな自分が妬ましい。

また、突発的に悲しくなることがあって、そのたびに、

「ぱんきちは私を悲しませないようにあんなに頑張ったのに。それなのにいつまでも悲しんで、自分はぱんきちになにひとつ応えられないのか」と自分に失望し、

「悲しんでいる自分に酔ってるだけだよね」

次第に、自分がダメダメで疎ましいやつに思えていました。

実際に、もう猫を飼っていない自分が、仕事以外に何をしたらいいのか、人と何を話したらいいか、考えてみると思いつかないです。

ダメダメなやつです。

夢に意味を持たせることなんて、それこそ意味がないことなのでしょうが、

「私の手の中に飛び込んできて、私の手の中で死んでいった猫がいた」ということを思い出したことで、少しは自分に価値を見出してもいいかな?と少し、思えました。

昨日注文しておいた写真たてが届きました。

アクリルの板に写真をはさむタイプのもので、上下に

「ぱんきち 1995.5.11~2009.10.24」と文字を入れてもらいました。

お骨はそのまま家に置き、自宅供養をするつもりです。

「土に返したほうがいい」とか「ペット霊園ならきちんと供養してもらえる」とか、いろいろ選択肢がありますが、この先どう気持ちが変わるかもわかりませんが・・・

今は、毎日生きていた頃と同じように朝昼夜とお水をあげて、春の花束をお供えしています。

49日は家にいるというから、毎朝猫缶を同じ場所へ少しだけ出しておきますし、トイレもまだ置いてあります(砂は片付けましたが)。

1週間を過ぎたら、猫は鳴かなくなりました。

時間が経てばまた気持ちも変わってくるのでしょうか。

書き込んでいただいたコメントに、レスもしないで申し訳ありません。

少しずつ、書いていきたいと思っています。

ぱんきちのことも、なにかのかたちで、書いていきたいという思いもあります。


あれから1週間

2009-11-01 01:49:05 | 

こんなことを書くと、ああ、とうとう・・・と思われてしまいそうですが・・・

ふつうに、鳴くんですね・・・

聞こえたような気がする、とか耳元で声が、という感じではなく、あっちの部屋で鳴いた、という明確に距離感があるのです。

49日は家にいる、とよく言いますが、本当のことなのでしょうか。

この1週間、やっぱり昼休みは家に帰ってしまいます。

待ってるような気がして・・・

でもやっぱり、猫缶を開ける手に擦り寄ってくるあの鼻の感触はもうない・・・

悲しくなるだけなんですが、帰ってきてしまうのです。

お昼休みに、会社の人から、あれ、帰らないの?と聞かれて、あー、猫、もういないんで・・・と答えるのもつらい・・・ということもあるのですが。

この居場所のなさ・・・ぱんきちと出会う前は、自分はいつもこんなだったなあ・・・

どれだけ、猫に依存してきたんだ自分。