猫依存

愛猫の思い出と漫画と日々の暮らし

49日でした

2009-12-13 00:44:28 | 

ぱんきちはお仏壇に入りました。

「メモリアルボックス」というもので、白木で金の扉がついていて、ましかくの箱です。

箱とか大好きだったので、「こいつはちょうど具合がいいや」とか思ってるかもしれません。

ぱんきちの仏壇の周りは賑やかです。

チューリップ、ガーベラ、カーネーション、ラナンキュラス。

猫の形の香炉、ちっちゃい猫が覗いてる陶器の水のみ。

人間のお仏壇のようにしなくてもいいんだよね、と思うので、どんどん色とりどりに楽しげになっていきました。

よく行くお花屋さんは、ちょっとコワモテの店員さんなのですが、つい「猫の49日で・・・」と話したことから、

「うちも犬を買ってたんですがもう10年以上お骨を家に置いています、やっぱり家族だし同じお墓に入りたいので・・・手元にあればお花をかかさずにあげてやれますし」

というお話を聞けました。

そのお店で、白のシンビジュウムの鉢植えが売っていてとてもきれいだったので、ぱんきちがお世話になったお医者さんにお礼にと思い、午後の診療が始まる頃に伺いました。

ぱんきちと何度も通った道、つい先日までは近くを走るのも悲しくて嫌でしたが。

先生は喜んで受け取ってくださいました。良かった。。。

区切りといえば区切りなんですが、なにも変わらないといえば変わらない・・・

相変わらず自分は猫依存です。

猫のことばかり考えています。

でももうそれは、悲しむためではないです。

楽しい思い出を、たくさんの人たちとの出会いをくれてありがとう。

きっとこれからも、ぱんきちの思い出はふえていきます。


とうめい猫

2009-12-11 00:08:13 | 

明日は49日です。

猫は節目節目に夢を見せてくれるようです。

亡くなってちょうど1ヶ月経った夜、夢を見ました。

私は隣の市に引っ越していました。

家は新しくもなく古くもなく、広くもなく狭くもなく、ただ家具の配置がなんとなくちぐはぐで、直さなくちゃなーと考えていました。

そして、ああ、ぱんちゃんも一緒にいたらいいのに、と夢の中で思いました。

すると足元を、見えない何かが走り回っているのを感じました。

それが座布団の上で止まったので、触れてみるとあの感触・・・

ふわふわでまるくて、ごろごろとのどを鳴らす振動がてのひらに伝わってきました。

ああ、ぱんちゃんは見えないけれど一緒に来てたんだね・・・

目が覚めると、手で触れた感触が残っていて、あの背中をもう1度撫でたい、せめてブラッシングのときにいくつもできた毛玉、あれがあったらよかったのに、なんでひとつも残さずに捨ててしまったんだろう。

唐突に後悔しました。

するとその日の夕方、「衣替えをしてたらこんなものが出てきた」と家族が持ってきたものは、、、

ぱんきちの毛がびっしりついたシャツでした。

きっと、よくタンスの奥で寝ていたので、そのシャツを布団代わりに敷いていたのでしょう。

その毛を丁寧に集めると・・・

1センチほどの毛玉ができました。

猫よ、またきみは私の願いを叶えてくれたね?

きっと私が今朝悔しがってるのを見てたよね?

毛玉はぱんきちの写真の傍に置き、いつも指先で撫でています。

うちには猫がいるんだよ、透明だけどね。

その日からそう思っています。

考えてみると、猫がいなくなったらそれこそもう寂しくてどうかなってしまうんじゃないかと思っていたのですが、「寂しい」とは感じなかったように思います。

朝起きると猫缶をあげて、お水を替えて、写真に話しかけて毛玉を撫でて。

昼休みもいまだに帰っているし、夜寝るときもお布団を持ち上げて「さー、ぱんちゃん寝るよー」とか言ってるし。

なーんにも変わりなく、暮らしています。

私は信仰を持ちませんので、あの世とか天国とかイメージできないのですが、もし生まれ変わりがあったとしても、自分がそうであるように前世のことなどまったくおぼえていないのだろうな、と思うのです。

ですからぱんきちの生も、亡くなることで完結したのだとは思っています。

でもあんなに可愛くて優しくて面白くてかっこよくて、素敵過ぎる猫だったぱんきち。

何かに残したい気持ちはどんどん強くなってきました。

そうだ、あの話は書こう、あのときの話も、、、といろいろと考えていると、楽しい思い出が次から次へと思い出されて、最近は笑えるようになりました。

貧乏暇なしで朝の6時半から夜の8時半まで、座ることもできないような生活でどこまでできるかわかりませんが・・・。