理事会の前に東京新聞の電話取材。安倍・猪瀬・橋下と続く「失言」の文脈について。アメリカのメディアが日本の右派勢力にはっきり警戒心を示し始めたのは1月ほど前からです。日本の政治家もメディアも、その「潮目の変化」に気づきませんでした。
まず安倍の「侵略定義」発言をNYTが大きく取り上げ、「日本がナショナリズムを加熱させて西太平洋に軍事的緊張を起こすことをアメリカは望んでいない」というシグナルを送りました。
官邸はそのシグナルに気付き、首相は一気に発言をトーンダウンさせました。猪瀬都知事はNYTがダメもとで仕掛けた「トラップ」に引っ掛かったのだと思います。脇の甘い政治家に失言させて国際感覚の無さを叩き、「国内向け受けを狙った暴言」を抑制するという狙いです。狙い通り。
これで改憲や対中国、対韓国の暴走が止まるかと思ったところに橋下発言です。アメリカ政府もびっくりしたと思います。これだけ「わかりやすいシグナル」を送ってるのに無視された。この人物はアメリカに喧嘩売ってるのか単に知性が不調なのかわからないけど、とにかく看過しないということになった。
橋下市長は自分がどういう国際関係論的文脈で「虎の尾」を踏んだのかまだ理解していません。支持率低下の維新の会に参院選向けに国内右派の支持を取り付けるつもりで「これまで言ってきたのとと同じこと」を言っただけなのに「いきなり」アメリカの逆鱗に触れた訳ですから。
なぜこれまではスルーされていた「慰安婦問題についての暴言」を今回に限ってアメリカが咎めたのか。それについて少しでも考えたら、「潮目が変わった」ことに気づいたはずです。でも、維新の会には国際感覚のある人が一人もいなかったのか、彼は墓穴を掘り続けています。
「誤報発言」の看過・追認問題は、メディアがだらしない・情けないという次元を超えています。明確に発言した問題発言を記者の国語力の問題にされ、誤報と認定され、それでも黙って追認するならば、ジャーナリズムはおしまいです。アクションを起こすべきです。
さて、そろそろお支度してでかけましょうか。今日はどんな話になるのでしょう。たぶん安倍・猪瀬・橋下・西村と続いた(順番に劣化してゆく)「失言」シリーズについて、というのが一つのトピックになると思います。どうして「こんなになるまで」日本のメディアは批評性を発揮できなかったのか。
さきほどの東京新聞の取材のとき、途中で逆上してしまいました。それは「どうしてこんなことになったんでしょう?」という質問に「メディアの責任が大きいんじゃないですか」と答えた後に「では、どうしたらいいんでしょう」という質問をされたとき。ぷちんと脳内で血管が切れる音がしました。
あのですね。これだけ社会の奥深くまで病んでいるという話をしたあとに「じゃあ、これからどうすればいいんでしょう?」という定型的な締めの質問が来たのです。それに僕が「それはですね」と200字以内で答えを出すと思ったのでしょうか?
思わず、電話口で「君たちには危機感というものがないのか!」と怒鳴ってしまいました(ごめんね、大きな声だして)。