12月9日
昨日病院から帰った後は、あまり食べなかった。疲れてしまったのかも知れない。
まいすの好きなフードが切れたので、今日仕事帰りにいくつか買ってこようと思った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/df/7d963e43d065dfefa5be1ac93b8dd032.jpg)
最後に撮った生きてるまいすの写真。12月9日の朝。
抜糸をしてきれいになったお腹をバーンと見せて寝ています。
出勤前、こんなふうに気持ちよく寝ていたまいすを見て、安心していました。
たぶん食べないとは思ったが、元気な時は好きだった腎ケアというドライフードを、
20粒くらい食器に入れて置いていった。
昼休み、ダンナからメールが。
腎ケアを手から食べさせたら、全部食べたって!
想像していなかったことなので、とても嬉しかった。
ああ、これでまた一歩進んだな。これからだんだん自分で食べるようになるんだろうなと思った。
そんな気持ちで寄り道してフードを買いこみ、電車に乗った私にかかってきた電話は、
まいすの死を知らせるものだった。
普段はメールでやりとりするので、電話が来るというのは緊急のことに違いない。
だから電車の中だけど電話に出た。
それでも私は、声を聞くまで、まいすが死んだということにはまったく思い至らなかった。
言葉を聞いても、すぐには理解できなかった。
急いで帰宅すると、まいすはコタツに寝ているままの状態で、それもまだ温かくて柔らかくて、
いくら触っても反応がない以外は、ただ寝ているとしか思えなかった。
たぶん逝ってしまって何分も経っていなかったんじゃないかと思う。
ダンナが歯医者に行ってほんの1時間程度留守にしている間に、ひとりで逝ってしまったまいす。
3時半ごろ、ダンナが出かける少し前にも、ウェットフードと腎ケア12粒を食べていたのだ。
その1時間くらい後に、まさか死んでしまうなんて。
ごはん食べて、いつものようにぐうぐう寝ている時に、突然心臓が止まってしまったのだろうか・・・
身体の下にしている方はおしっこで濡れていたけれど、これは亡くなった後に出たのだろう。
吐いた形跡もなく、何かで苦しんでコタツから出ようとした形跡もない。
眠ったまま、その場から全然動いていないような姿だった。
かかりつけの病院に電話すると、きれいにケアしてくれるとのこと。
急いで連れて行った。
先生は脈や心音を確かめ、舌の色などを診て、その後看護師さんが、ドライシャンプーで
きれいにしてくれた。
私が一番気になっていたこと・・・私たちの皮下補液や強制給餌が原因で、
まいすを死なせてしまったのでは?という疑問には、こう説明してくれた。
「補液が原因で肺水腫を起こしたりすれば呼吸が苦しくなるので、そのせいではない。
強制給餌で誤嚥となったら必ず苦しむし、吐き気もあるはず。舌の色もきれいで窒息などの
死因は考えられない」
最後の皮下補液は前日の夜。その後おしっこはよく出ていて、補液はちゃんと吸収されている
と思われた。
強制給餌も、たしかに嫌がってはいたが、口に入ったものはしっかり飲み込んでくれていた。
だいたい強制給餌の1時間ほど後に、自分でウェットとカリカリを食べたくらいだから、
具合が悪くはなかったはずだ。
やっぱりいくら考えても、本当の死因はわからなかった。
ただ言えることは、たぶん全然苦しまなかっただろうということ。
きれいにして水色のリボンを着けられたまいすを囲んで、先生や看護師さんたちが口々に
言う。
「マイペースのまいちゃんらしい旅立ち方だね」
「最後に食べたのが処方食のカリカリっていうのも、まいちゃんらしいね」と(笑)。
うん、なんだかそんな気がする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/74/71bf7ba0c0d36f42e8e9cf8d4ae8dac5.jpg)
病院で可愛いリボンを着けてもらって、お気に入りのベッドでいつものように寝ているみたいなまいす。
こうして、まいすの入院、手術、退院といった一連の大騒動は、あっけなく終わってしまった。
あまりに突然の幕切れで、しかもそんな幕切れは全く想定していなかったから、
あの時の落胆といったら、たぶん今までの私の人生で一番だと思う。
それくらい打ちひしがれた出来事だった。
あれから月日は過ぎて、明日は四十九日。
まだ全然まいすのいない生活に慣れないし、立ち直れてもいない。
でもあの日から毎日、答えの出ないことをあれこれと考え続け、自分なりに納得し始めたことも
ある。
「まいすのこと」を書いている間に溜まった写真もあるので(ほとんど食べ物とかだけど)
これからまた日々のことを、つれづれに綴っていこうと思います。