皆様に大切なお知らせです。
突然ですが、私は、7月11日付で、勤務先の大学を退職します。
直接お会いした方や、mixiでつながっている方には、先行して
お話しておりましたが、このブログでどのようにご報告するか、
ずっと迷っていて、結果、ぎりぎりのご連絡になってしまい、
ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。
5月から徐々に体調を崩し、回復できなかったというのが、最大の理由です。
退職後は、実家に戻り、しばらく静養します。
先日のエントリでも触れたとおり、精神的な部分もダメージがあり、
その点についてどこまでお話しするかを迷っていたのですが、
今まで直接お話しても、誤解が生じてしまうこともあったので、
やはりふせておきますね。
(どうしても気になる方は、時間だけはたくさんあるので、ご連絡ください。
全く楽しくない話ですが、お話しに行きますのでw)
ただ、勤務先への不満や「反旗を翻して辞める」といった行動では
ありませんので、その点はご理解くださいね。
アカハラやパワハラの類でもありません。念のため。
勤務し始めたころのエントリに少し書いたこともあるように、勤務先の
大学のおかしなところや不満が解消したわけではないのですが、
そんなことは、自分の我慢と努力次第でどうにでも変えていけることで、
いずれ、変えていかなければならなかったことだとも思います。
働き続けることは、どうしても難しかったのですが、
辞めると決めて、改めて勤務先の大学を客観的に見たときに、
意外と、この9ヶ月の間に、好きになっていたんだなと思いました。
他大学に劣らず、変なところはいっぱいあるんですよ、本当に(笑)
理系なので、文系出身の私には理解できない偏屈な先生もいたり、
事務組織も…職員も…そりゃもう…。
でも、誇りに思える研究や人材育成もしていますし、何より、
とても素直で、学問や研究に対して熱心で、頑張り屋な学生が
多かったことは、大学職員のひよことして、とても幸せな
職場だったと思います。
だから、大学職員という仕事を経験させてもらえた今の職場に
対しては、感謝の気持ちと申し訳なさだけが胸にあるだけです。
退職を決めるにあたっては、たくさん考えました。
今まで多くの大学職員の先輩方との縁をいただいた分、
私が悩んでいること耳にされた他大学の方からも、お電話をいただいて
ぎりぎりまで説得いただいたりもしました。
ただでさえ、社会に出るのが遅かった上に、2つ目の職場ですから、
「3年は続けた方がいい」「やめるならせめて、次の仕事を決めてから…」
というアドバイスは正論だと思いますし、自分自身も、何とか
折り合いをつける方法を考えなかった訳ではないのですが、
考えれば考えるほど、壊れていく身体を、支えることができませんでした。
並行して転職活動をすることも叶わないので、今は、とにかく
ゆっくり休むことにします。
やり直しのきかない今の日本社会では、こうしてお休みを取ることは
弱者の証で、認めてもらえることはなくて、戻りたいと思った時には、
社会に帰る場所がなくて…「ほら、言ったでしょ」って言われるのかも
しれません。
でも、これは終わりではなくて、新しい始まりのための休息期間です。
私はまたいつか歩き出します。必ず。
かなえたい夢や、使命だと感じていることがあるなら、足りないのは
自分の強さだけ、ですよね。実家で、身体と心の筋トレしてきます(笑)
このブログは、タイトルを変えて、継続します。
内容も少しずつ変化していくと思いますが、更新頻度は上げる予定
ですので、またお目通しいただければ幸いです。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
*おまけ*
タイトルは、最近ずっと心に流れていた歌からもらいました。
歌詞がぴったりだから、無意識に口ずさんでいるのだと思うのですが、
それが高校のころよく聴いていた歌なのは、実家に帰るからかもしれませんね。
大学進学とともに神奈川に住んで、10年が経ちました。
家を出る前の、家族と彼氏と少しの友達だけ、という小さな私の人間関係は、
この10年で、信じられないほど何倍にも膨らみました。
それは本当に本当に、幸せなことで。ありがたいことです。
実家のある静岡県には、中学2年生で引っ越してから5年間しか住んで
いないので、友人もおらず、「どうしよう」というのも本音なのですが、
良い機会なので、もう一度、その土地で暮らすことを、選んで、
がんばってみようと思います。
さようなら 会えなくなるけど
さみしくなんかないよ
そのうちきっと大きな声で
笑える日が来るから
動き出した 僕の夢 高い山越えて
星になれたらいいな
― 星になれたら Mr.Children ―
突然ですが、私は、7月11日付で、勤務先の大学を退職します。
直接お会いした方や、mixiでつながっている方には、先行して
お話しておりましたが、このブログでどのようにご報告するか、
ずっと迷っていて、結果、ぎりぎりのご連絡になってしまい、
ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。
5月から徐々に体調を崩し、回復できなかったというのが、最大の理由です。
退職後は、実家に戻り、しばらく静養します。
先日のエントリでも触れたとおり、精神的な部分もダメージがあり、
その点についてどこまでお話しするかを迷っていたのですが、
今まで直接お話しても、誤解が生じてしまうこともあったので、
やはりふせておきますね。
(どうしても気になる方は、時間だけはたくさんあるので、ご連絡ください。
全く楽しくない話ですが、お話しに行きますのでw)
ただ、勤務先への不満や「反旗を翻して辞める」といった行動では
ありませんので、その点はご理解くださいね。
アカハラやパワハラの類でもありません。念のため。
勤務し始めたころのエントリに少し書いたこともあるように、勤務先の
大学のおかしなところや不満が解消したわけではないのですが、
そんなことは、自分の我慢と努力次第でどうにでも変えていけることで、
いずれ、変えていかなければならなかったことだとも思います。
働き続けることは、どうしても難しかったのですが、
辞めると決めて、改めて勤務先の大学を客観的に見たときに、
意外と、この9ヶ月の間に、好きになっていたんだなと思いました。
他大学に劣らず、変なところはいっぱいあるんですよ、本当に(笑)
理系なので、文系出身の私には理解できない偏屈な先生もいたり、
事務組織も…職員も…そりゃもう…。
でも、誇りに思える研究や人材育成もしていますし、何より、
とても素直で、学問や研究に対して熱心で、頑張り屋な学生が
多かったことは、大学職員のひよことして、とても幸せな
職場だったと思います。
だから、大学職員という仕事を経験させてもらえた今の職場に
対しては、感謝の気持ちと申し訳なさだけが胸にあるだけです。
退職を決めるにあたっては、たくさん考えました。
今まで多くの大学職員の先輩方との縁をいただいた分、
私が悩んでいること耳にされた他大学の方からも、お電話をいただいて
ぎりぎりまで説得いただいたりもしました。
ただでさえ、社会に出るのが遅かった上に、2つ目の職場ですから、
「3年は続けた方がいい」「やめるならせめて、次の仕事を決めてから…」
というアドバイスは正論だと思いますし、自分自身も、何とか
折り合いをつける方法を考えなかった訳ではないのですが、
考えれば考えるほど、壊れていく身体を、支えることができませんでした。
並行して転職活動をすることも叶わないので、今は、とにかく
ゆっくり休むことにします。
やり直しのきかない今の日本社会では、こうしてお休みを取ることは
弱者の証で、認めてもらえることはなくて、戻りたいと思った時には、
社会に帰る場所がなくて…「ほら、言ったでしょ」って言われるのかも
しれません。
でも、これは終わりではなくて、新しい始まりのための休息期間です。
私はまたいつか歩き出します。必ず。
かなえたい夢や、使命だと感じていることがあるなら、足りないのは
自分の強さだけ、ですよね。実家で、身体と心の筋トレしてきます(笑)
このブログは、タイトルを変えて、継続します。
内容も少しずつ変化していくと思いますが、更新頻度は上げる予定
ですので、またお目通しいただければ幸いです。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
*おまけ*
タイトルは、最近ずっと心に流れていた歌からもらいました。
歌詞がぴったりだから、無意識に口ずさんでいるのだと思うのですが、
それが高校のころよく聴いていた歌なのは、実家に帰るからかもしれませんね。
大学進学とともに神奈川に住んで、10年が経ちました。
家を出る前の、家族と彼氏と少しの友達だけ、という小さな私の人間関係は、
この10年で、信じられないほど何倍にも膨らみました。
それは本当に本当に、幸せなことで。ありがたいことです。
実家のある静岡県には、中学2年生で引っ越してから5年間しか住んで
いないので、友人もおらず、「どうしよう」というのも本音なのですが、
良い機会なので、もう一度、その土地で暮らすことを、選んで、
がんばってみようと思います。
さようなら 会えなくなるけど
さみしくなんかないよ
そのうちきっと大きな声で
笑える日が来るから
動き出した 僕の夢 高い山越えて
星になれたらいいな
― 星になれたら Mr.Children ―