近年、日本のマチュピチュと言われ人気の観光地になったのが竹田城址。竹田城は、嘉吉年間(1441~43年)に但馬の守護大名・山名宗全が基礎を築き太田垣氏が5代にわたって城主となったが、後に、豪壮な石積みの城郭は最後の城主・赤松広秀が整備した。しかし、秀吉の但馬征伐で天正8年に落城した後は400年も放置され、今も石垣のみで建物は無い。秋から冬の晴れた朝には、雲海ができて浮き上がって見える為、天空の城とも言われている。
2011年10月16日、新幹線で姫路まで行き、レンタカーを借りて但馬・因幡・伯耆・美作・播磨の5カ国を廻る旅に出た。先ず、播但連絡道路を走り和田山インターで降りて、竹田城址に寄る。竹田城址へは虎臥山の中腹の駐車場に車を置いて、山門を抜けて山頂まで登る。山を巻くように登って行くと、次第に山道らしくなってきて石垣が見えてきた。石垣は荒々しい積み方で迫力がある。石垣は延々と連なり、次の石段を登ると、更に奥にまで石垣が続いているのが見える。二の丸を過ぎ、本丸まで来ても、まだ石垣がある、天守台の石垣は梯子で登る。天守台に登って周囲を見渡すと、更に南の方に城郭が連なっていたのが判る。南に広がる敷地は南千畳と呼ばれている。本丸を下りて南側から駐車場に戻る、ここで予定以上に時間を費やしたので出石の町には寄らず但馬国一宮・出石神社に直行した。
お城はここまで、明日からはお寺巡りです。
駐車場からの入口
天守台への梯子
南千畳
天守台にて
振り返ると
2011年10月16日、新幹線で姫路まで行き、レンタカーを借りて但馬・因幡・伯耆・美作・播磨の5カ国を廻る旅に出た。先ず、播但連絡道路を走り和田山インターで降りて、竹田城址に寄る。竹田城址へは虎臥山の中腹の駐車場に車を置いて、山門を抜けて山頂まで登る。山を巻くように登って行くと、次第に山道らしくなってきて石垣が見えてきた。石垣は荒々しい積み方で迫力がある。石垣は延々と連なり、次の石段を登ると、更に奥にまで石垣が続いているのが見える。二の丸を過ぎ、本丸まで来ても、まだ石垣がある、天守台の石垣は梯子で登る。天守台に登って周囲を見渡すと、更に南の方に城郭が連なっていたのが判る。南に広がる敷地は南千畳と呼ばれている。本丸を下りて南側から駐車場に戻る、ここで予定以上に時間を費やしたので出石の町には寄らず但馬国一宮・出石神社に直行した。
お城はここまで、明日からはお寺巡りです。
駐車場からの入口
天守台への梯子
南千畳
天守台にて
振り返ると
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