北観音山
文和2年(1353)(南北朝)に創建され、現在後の祭の先頭を行く曳山です。この山
を有する六角町には、古くから三井家、松坂屋などの豪商も居住していたため、緻
密な刺繍の見送や水引、飾金具などの豪華な装飾品を数多く所有しています。破風
の彫刻は天保4年(1833)(江戸後期)片岡友輔作のもので、欄縁や柱の金具細工の
精巧さと相まって山を一層華麗なものに見せています「上り観音山」ともいわれ、
後の祭の山鉾巡行の先頭にたつ。山の上には楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞ
う)と韋駄天立像(いだてんりつぞう)を安置する。もと舁山(かきやま)であっ
たものを後に曳山(ひきやま)に改め、その名残りとして真木には松の木が立てら
れている。松の左二の枝に尾長鳥をつけるのも珍しい。
この地は多くの文化人や豪商が住を構えた、たとえば平安時代・日本三筆の一人橘
逸勢 茶屋四郎次郎と徳川家康 三井八郎八郎兵衛(現在三井) 、鉾町(祇園祭り)
として勢力を誇り、豪商が郡拠している。さしもの秀吉も次の句が続かなかった。
文和2年(1353)(南北朝)に創建され、現在後の祭の先頭を行く曳山です。この山
を有する六角町には、古くから三井家、松坂屋などの豪商も居住していたため、緻
密な刺繍の見送や水引、飾金具などの豪華な装飾品を数多く所有しています。破風
の彫刻は天保4年(1833)(江戸後期)片岡友輔作のもので、欄縁や柱の金具細工の
精巧さと相まって山を一層華麗なものに見せています「上り観音山」ともいわれ、
後の祭の山鉾巡行の先頭にたつ。山の上には楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞ
う)と韋駄天立像(いだてんりつぞう)を安置する。もと舁山(かきやま)であっ
たものを後に曳山(ひきやま)に改め、その名残りとして真木には松の木が立てら
れている。松の左二の枝に尾長鳥をつけるのも珍しい。
この地は多くの文化人や豪商が住を構えた、たとえば平安時代・日本三筆の一人橘
逸勢 茶屋四郎次郎と徳川家康 三井八郎八郎兵衛(現在三井) 、鉾町(祇園祭り)
として勢力を誇り、豪商が郡拠している。さしもの秀吉も次の句が続かなかった。