京風

そぞら歩きの千二百年の都のはんなり歴史街道と四季行事等

「祇園祭」北観音山

2009-07-21 14:13:50 | お出かけ
北観音山

文和2年(1353)(南北朝)に創建され、現在後の祭の先頭を行く曳山です。この山

を有する六角町には、古くから三井家、松坂屋などの豪商も居住していたため、緻

密な刺繍の見送や水引、飾金具などの豪華な装飾品を数多く所有しています。破風

の彫刻は天保4年(1833)(江戸後期)片岡友輔作のもので、欄縁や柱の金具細工の

精巧さと相まって山を一層華麗なものに見せています「上り観音山」ともいわれ、

後の祭の山鉾巡行の先頭にたつ。山の上には楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞ

う)と韋駄天立像(いだてんりつぞう)を安置する。もと舁山(かきやま)であっ

たものを後に曳山(ひきやま)に改め、その名残りとして真木には松の木が立てら

れている。松の左二の枝に尾長鳥をつけるのも珍しい。

この地は多くの文化人や豪商が住を構えた、たとえば平安時代・日本三筆の一人橘

逸勢 茶屋四郎次郎と徳川家康 三井八郎八郎兵衛(現在三井) 、鉾町(祇園祭り)

として勢力を誇り、豪商が郡拠している。さしもの秀吉も次の句が続かなかった。