京風

そぞら歩きの千二百年の都のはんなり歴史街道と四季行事等

法然院

2018-02-26 13:55:59 | 国内旅行










善気山萬無教寺と号する浄土宗系の単立寺院である。
鎌倉時代の初め、法然上人が弟子の住連、安楽とともに、阿弥陀仏を昼夜に6回拝む六時礼讃を勤めた草庵で、寛永年間(1624~44)ほとんど廃絶していたが、延宝8年(1680)に知恩院の第38世萬無心阿(ばんぶしんあ)上人と弟子の忍澂(にんちょう)和尚が念仏道場として再興した。
本堂には恵心僧都作の阿弥陀如来坐像と法然上人自作本尊を安置し直壇には毎朝25の生花が散華される。
(昭和28)に浄土宗より独立し、単立宗教法人となり現在に至っている通常伽藍内は非公開である伽藍は年二回(4月1日~4月7日と11月1日~11月7日)一般公開されます。 作家谷崎潤一郎や九鬼周造、河上肇ら多くの文化人著名な方のお墓が多い。
砂地を固めてその上に模様が描かれる白砂壇は、水を表現していて、その間を通ることで心が清められると言われている。境内の庭園は無料です

延暦寺

2018-02-19 11:48:00 | 国内旅行
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平安京(京都)の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称された。平安時
代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山
寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。
平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持った。特に密教によ
る加持祈祷は平安貴族の支持を集め、真言宗の東寺の密教(東密)に対
して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ覇を競った


延暦寺

2018-02-18 11:00:21 | 国内旅行







「延暦寺」とは単独の堂宇の名称ではなく、比叡山の山上から東麓にかけて
位置する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)などの区域
(これらを総称して「三塔十六谷」と称する)に所在する150ほどの堂塔の総
称である。
日本仏教の礎(佼成出版社)によれば、比叡山の寺社は最盛期は三千を越え
る寺社で構成されていたと記されている

延暦寺

2018-02-17 13:40:35 | 国内旅行






浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖
道元、日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多く
が若い日に比叡山で修行していることから「日本仏教の母山」とも称されている。
1994年に、世界遺産に古都京都の文化財として登録されている。
 
足利義比叡山と対立した教有力僧を誘い出し斬首した僧侶たちは、根本中堂
に立てこもり火を放って焼身自殺した
戦国統一の障害になるとみた信長は、延暦寺に武装解除するよう願うが断固拒
否された為焼き討ちした故に建造物重要文化財とまり



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知恩院

2018-02-15 10:16:04 | 京都

 






比叡山を下り承安5年(1175年)、浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、
没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建
立されたのは、江戸時代以降である。徳川将軍家から庶民まで広く信仰
を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいん
さん」と呼ばれている室町幕府が行ったように二条城とともに京都におけ
る徳川家の拠点とすること、徳川家の威勢を誇示し、京都御所を見下ろし
朝廷を牽制することといった、政治的な背景もあった一心に弥陀(阿弥陀
如来)の名を唱え続ければ極楽往生できるとする思想である。この思想は
旧仏教側から激しく糾弾され、攻撃の的となった


知恩院

2018-02-13 10:55:45 | 国内旅行








知恩院の鐘は高さ3.3メートル、口径2.8メートル、重さ約70トン。京都方広寺、奈良東大寺と並ぶ日本三大梵鐘として知られている

除夜の鐘試し撞きが12月27日 14:00~から除夜の鐘は親綱1人・子綱16人の17人で撞き、京都の冬の風物詩となっています。