六波羅蜜寺にいたるまでの広大なものでありました。それだけでは足らず、各所に別邸を持っておりましたが、そのうちの西八条邸には清盛自身が植えたという楠がありました。源氏の追討の手のものがこの邸を焼き払った際にも、これは焼け残り、その後、これを伐ろうとしたり、移しかえようとしたりすると、必ず祟りがあったと言います。それで、ここを「若一神社」とし、清盛の魂をまつり、楠を大切にしてきました。
平清盛が、埋もれていた鎮守社若一神社 (にゃくいちじんじゃ)御神体を掘り起こして祀ったのちに出世したと伝わっており、現在も立身出世の神として崇敬されています。
平清盛が、埋もれていた鎮守社若一神社 (にゃくいちじんじゃ)御神体を掘り起こして祀ったのちに出世したと伝わっており、現在も立身出世の神として崇敬されています。