つばさ

平和な日々が楽しい

「科学者が」と言われるとつい信じてしまうのは科学に対する信頼の故だろう

2012年10月30日 | Weblog
春秋
2012/10/30
 火星人の地球への来襲を伝える米国のラジオ番組が人々を大慌てさせた話をご存じだろうか。1938年の今日の出来事である。H・G・ウェルズのSF小説「宇宙戦争」をもとに、当時23歳だったオーソン・ウェルズがハロウィーン前夜の特別番組として企画した。
▼生放送のニュース形式にした点が人々を驚かせた最大の理由だったが、その内容は実に巧妙だった。シカゴの天文台の科学者が「火星で光を伴うガス爆発を観測した」とまず伝えて、その光が「非常な速度で地球に向かっている」と続けた。「科学者が」と言われるとつい信じてしまうのは科学に対する信頼の故だろう。
▼そんな科学者のなかで現在、苦しい立場にあるのが地震学者だ。イタリアでは大地震の可能性は低いという見解を示した学者に実刑判決が下され、日本でも地震学会が地震の予知について「非常に困難」と白旗を揚げた。今年は日本で予知研究を進めるきっかけになった報告書が発表されて半世紀という節目の年だった。
▼「予知がいつ実用化するか現在は答えられない。しかし、10年後には信頼性をもって答えることができるだろう」。その報告書にははっきりとこう書いてある。今でも科学の未来には希望を抱きたいが、国民に過大な期待を与えてもまずい。科学的な知見をもとに現実を直視することも、科学者に必要な姿勢に違いない。

「明日」をテーマにした流行歌が、おしなべて悲しい内容なのはなぜだろう。

2012年10月30日 | Weblog
【産経抄】10月30日
 ♪明日という字は明るい日と書くのね(『悲しみは駈け足でやってくる』)。♪きょうも待ちぼうけ(『明日があるさ』)。♪涙の数だけ強くなれるよ(『TOMORROW』)。「明日」をテーマにした流行歌が、おしなべて悲しい内容なのはなぜだろう。
 ▼つらい時期だからこそ、明るい未来にかける期待がふくらむのかもしれない。そう考えれば、野田佳彦首相が、きのうの所信表明演説で、「明日への責任」という言葉を20回も使った理由も納得がいく。
 ▼改造内閣は、田中慶秋氏の法相辞任でいきなりみそを付けた。次期衆院選の前哨戦と位置づけられた衆院鹿児島3区補欠選挙でも敗れた。支持率の下落は止まらず、離党者も相次ぎ、まさに政権は崖っぷちにある。
 ▼だからといって、野田首相に「明日」を語る資格があるとは思えない。首相は所信表明のなかで、責任を果たすための仕事を次々に挙げた。被災地の復興、原発事故との戦い、エネルギー・環境政策、不透明感を増す経済情勢、そして領土・主権をめぐる安全保障の問題…。何のことはない。民主党政権が取り組みに失敗した課題ばかりではないか。
 ▼〈煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし〉と寺山修司は歌った。首相が口にすれば、「明日」という言葉自体が悲しく響く。そもそも、「近いうち」の解散を国民に約束している首相が、政権維持に意欲を示す姿勢自体に違和感を覚える。
 ▼「俺たちに明日はない」とばかりに、崖っぷちなりの覚悟を見せてほしかった。国民が聞きたいのは、首相が果たす「明日への責任」ではない。昨日までの民主党政権の失政の責任を潔く認めた上での、解散の一言だ。