つばさ

平和な日々が楽しい

80歳になるとどうなるか

2012年10月29日 | Weblog
時鐘10.29
 今どきの80歳を、昔の80歳と同一視(どういつし)するから、この長寿社会(ちょうじゅしゃかい)では色々と誤解(ごかい)が生じる。男の年齢(ねんれい)は8掛け、女は7掛けの時代だと割(わ)りきればいい
80歳の男性なら昔の60歳少々の人と同じ。50歳の女性は35歳程度(ていど)に相当する。だから三浦雄一郎(みうらゆういちろう)さんが80歳でエベレスト登頂を目指し、81歳の高倉健(たかくらけん)さんが60代の役になりきる。67歳の吉永小百合(よしながさゆり)さんが美ぼうの女教師を演じることもできる

先ごろ、金沢で仲代達矢(なかだいたつや)さんのトークショーがあった。しきりに「芸歴(げいれき)60年、もう80歳」と繰(く)り返したが、とてもそうは見えないかっこよさだった。「映画は石原裕次郎(いしはらゆうじろう)さんと同期(どうき)」とも言っていた。「慎太郎(しんたろう)兄さん」の怪気炎(かいきえん)が頭をかすめたものだ

孔子(こうし)は「六十になって人の言葉が素直に聞くことができ、七十になると思うままにふるまっても道を外(はず)れないようになった」と論語(ろんご)に残している。80歳になるとどうなるか。孔子は70歳前半で亡くなったから記せなかった

仮に生きていても、2500年後の超長寿社会は予測(よそく)できなかったに違いないが、八十にして「怖(こわ)いもの知らず」と言い残したかもしれない。

余録:友人が「自炊を始めた」という。といっても…

2012年10月29日 | Weblog

毎日新聞 2012年10月29日

 友人が「自炊(じすい)を始めた」という。といってもご飯を炊いたりおかずを作ったり、という話ではない。本をスキャナーでパソコンに取り込み、手作りの電子書籍(でんししょせき)にするのである▲いま携帯用の小型パソコンであるタブレットが大人気で電子機器の主戦場になっている。友人もそれを買ったのが自炊のきっかけだ。評論家の勝間和代(かつま・かずよ)さんも自炊派でブログにそのやり方や感想が書いてある▲子どもの頃、本は大切にするものだと教わった。足で踏んづけたりしてはいけない。本を大事にすれば知を尊重する気持ちも育つ、と。ところが自炊は本を解体し1枚ずつにバラしてしまう。それをスキャンする。何となく抵抗がある▲電子書籍の先進国の米国では、こういう奇妙な作業をする人はあまりいないらしい。電子書籍として販売される本が多いので、わざわざ紙の本をスキャンするまでもない。日本ではまだ数が少ないから自炊に走る。好きな本を何百冊でも携帯できるように▲電子書籍を読む端末のほうは、にわかににぎやかになってきた。大別してカラーの液晶(えきしょう)方式と単色だが目が疲れにくい電子ペーパー方式の2種類。ソニーや楽天に加えアップルやアマゾンなどが一斉に新製品を出し市場の大争奪戦が始まった。日本の出版界もこうした情勢をうけて電子書籍の刊行に積極的になってきた▲しかし、米国などに比べまだ少ない。友人は当分の間せっせと自炊にはげむしかないという。「それにね」と付け加えた。「なにしろ本が多くなり過ぎた。狭い書斎(しょさい)スペースを広げる意味合いもあるのさ」。なるほど、切実な動機だと思うが、あきれた根気だね。

「復興しないったってさせてみせらあ。日本人じゃあねえか」。

2012年10月29日 | Weblog
春秋
2012/10/29付
 「復興の魁(さきがけ)は料理にあり」。関東大震災ですっかり焼け野原と化した東京の銀座で、ただ1軒、掘っ立て小屋にこんな貼り紙を張った居酒屋が商売を始めた――。水上滝太郎の小説「銀座復興」は、その店のおやじと客たちの復興にかける高らかな意気を描いた作品だ。
▼いま東日本大震災の被災地をめぐれば、この物語を彷彿(ほうふつ)させる人々の奮闘を知る。まだまだ荒涼とした光景のなかの仮設商店街や、思わぬ場所にぽつんと建つプレハブの飲み屋や理髪店である。街が根こそぎ消えた宮城県南三陸町の志津川地区を歩いてさえ、香り高いコーヒーを飲ませるカフェに出合うことができるのだ。
▼震災から1年半を過ぎたのに、なお「仮設」で頑張るしかない現実も、そこには横たわっている。国の復興予算は本当に必要なところには行き渡らず、先日の会計検査院の報告では、東京スカイツリーの開業前イベントに流用されたお金もあったという。そんな矛盾にさいなまれながらも、必死に自立を探る被災地である。
▼「復興」を「福幸」と書き換えたポスターや看板を、被災地ではよく目にする。ささやかな言葉遊びかもしれないが、再生を誓う思いが伝わって、逆に勇気づけられるほどだ。「復興しないったってさせてみせらあ。日本人じゃあねえか」。かの「銀座復興」のなかで一本気な亭主が息巻くのと同じ声が、耳に響いている。