つばさ

平和な日々が楽しい

余録:「久方の アメリカ人の はじめにし…

2012年10月26日 | Weblog
毎日新聞 2012年10月26日 

 「久方の アメリカ人の はじめにし ベースボールは 見れど飽(あ)かぬかも」(正岡子規)。110年前に没した子規は「打者」「直球」などの野球用語を訳した人としても知られる。その「見れど飽かぬ」スポーツに魅せられた若者たちが昨日、ドラフト会議でプロへの一歩を踏み出した▲ドラフトには「選抜」のほかに「下書き」という意味もある。夢の下書き、未来へのデッサンだ。白いキャンバスにこれから色をつけ、絵を完成させるまでどれほどの努力がいることか。野球の神に選ばれたすべての戦士に栄光あれ、と祈る▲今年はドラフト前に岩手・花巻東高の大谷翔平(おおたに・しょうへい)投手が米大リーグ挑戦を表明した。前例のない決断だ。戦時中、花巻に移り住んだ詩人・高村光太郎の「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」という言葉が、18歳の勇気に重なる▲一方、こちらはドラフト当日に東京都知事を辞めると言い出し、新党で国政に挑む考えを明らかにした石原慎太郎氏である。18ならぬ80歳の挑戦だが、雨後のタケノコのような政界新党より、球界の若い世代の可能性に心躍らせた一日だった▲大谷投手は日本ハムが事前の方針通り1位で指名し、会場に歓声がわいた。若者の挑戦を邪魔する了見(りょうけん)ではないだろう。翻意(ほんい)させるのは困難でも、ナンバーワン評価の投手を大リーグと堂々奪いあうパ・リーグ覇者(はしゃ)の意地と受けとめておく▲「春風や まりを投げたき 草の原」(子規)。大谷投手との交渉期限は春風が吹く来年3月末だ。日米どちらで「まりを投げ」ることになっても、これは彼が決める人生である。静かに見守ってあげたい。

日本に戻ってから一定年数、契約を結べないそうだ。

2012年10月26日 | Weblog
春秋
2012/10/26付
 最初に野球殿堂入りしたメンバーをみると、沢村栄治、正力松太郎らに交じって平岡熙(ひろし)という人がいる。「日本野球の祖」とされる人物だ。明治の初めに、機関車の製造技術を学びに渡った米国でベースボールを知り、帰国後は鉄道技師の仕事をしながら野球を広めた。
▼渡米は16歳のときだった。若者はチームの心をひとつにして白球を追う異国のスポーツのとりこになったのだろう。足かけ6年の留学後、東京の新橋停車場内に運動場を設け、そろいのユニホームの本格的な野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」を結成した。本場でカーブを覚えて、日本で初めて披露したともいわれる。
▼時速160キロの超高校級右腕、岩手県・花巻東高の大谷翔平投手が米大リーグに挑戦することになった。18歳という若さは留学時の平岡と重なり合う。見たこと、触れたことを自分のものにする力が一生のなかでも旺盛なときだ。一流選手の技やプレー姿勢を貪欲に吸収してほしい。それが日本球界の財産にもなるだろう。
▼日本ハムが大谷投手をドラフト1位指名したが米球団との交渉は自由だ。が、プロ野球界には申し合わせがあるという。指名を蹴って外国のプロチームでプレーした選手とは、日本に戻ってから一定年数、契約を結べないそうだ。若者の挑戦心をそぎかねない。海外経験が日本のためにもなると、歴史は教えているのだが。

スーパーマン上役に「スクープが少ない」と叱られ

2012年10月26日 | Weblog
天声人語10.26
 華が足りないのか、新聞記者が主役の活劇は少ない。ささやかな誇りはアメリカンヒーローの重鎮、スーパーマンである。仮の姿のクラーク・ケントはデイリー・プラネット紙記者。編集局からの「出動」も多い▼その人が新聞社を辞めるという悲報にうろたえた。おととい米国で発売された新作で、上役に「スクープが少ない」と叱られ、こう息巻いて職を辞したそうだ。「新聞はもはや、ジャーナリズムではなく娯楽になり下がった」▼作者によると、退社後は「現代的なジャーナリスト」として独立し、インターネットでの発信に挑むらしい。「新聞で人助け」とか言っていたのに、そりゃないぜクラーク▼1938年に登場した正義の異星人。一貫して新聞記者の設定で、作者が代わっても勤め先は同じだった。「勤続70年」の転職である。同業の目には無謀と映るし、ひがみ半分、いわば副業だけに気楽なもんだとも思う▼娯楽だと嘆いたのは場の勢いだろうが、新聞の暗中模索は米国に限らない。メールも携帯小説も同じ文字文化だから、課題は活字離れではなく、紙離れだろう。小紙を含め、有料の電子版が競う世だ。空さえ飛べる男が時流に乗るのは道理かもしれない▼記者としての彼の難は、スーパーマンが降臨するほどの修羅場で「突然いなくなる」ことだった。体が一つしかないのは当方も同じ、あれもこれもの器用さは持ち合わせない。ひそかな自慢が業界を去っても、新聞という地味な人助けにこだわりたい。

『「父」なくして国立たず』

2012年10月26日 | Weblog
【産経抄】10月26日
2012.10.26
 小学生のころ初めて手にした石原慎太郎氏の著作は、小説ではない。両親が読み終えてちゃぶ台に置いていた、『スパルタ教育』だった。どれほど子育ての参考になったのか、定かではないが。
 ▼石原氏は、『「父」なくして国立たず』という別の本でこう語っている。「国家を構成する家庭、そのリーダーである父親がしっかり立たなくて、どうして国がしゃんと立てるというのでしょうか」。齢(よわい)八十を数える石原氏ほど、「リーダーである父親」のイメージの強い政治家は見当たらない。
 ▼過激な発言でしばしば物議を醸す石原氏には、拒否反応を示す人が少なくない。ただ現在のように、外交、内政あらゆる面で政治が行き詰まると、強烈な父性への期待が、いやが上にも高まってくる。
 ▼その石原氏がきのう、東京都知事を辞任し、自らを党首とする新党を結成する意向を明らかにした。「中央官僚の国家支配をぶちこわす」。きのう都庁で開かれた緊急会見では、冒頭から憲法改正を打ち出し、国の会計制度から教育問題まで、日本を衰退から救う処方箋を示した。「体力は衰えたが、気力はますます充実している」。言葉通りの熱弁だった。
 ▼日本維新の会代表の橋下徹大阪市長は早速、連携の可能性を示した。一方、石原新党の結成によって、与党民主党の受けた衝撃の大きさは計り知れない。離党者が続々と新党に駆け込むようだと、解散への風圧はますます強まりそうだ。
 ▼「父」といえば、長男である自民党の石原伸晃前幹事長が、先の党総裁選で敗れたことから、新党結成に向けての障害がなくなった、との見方がある。首相の父になり損ねたのが国政復帰の理由とは、思いたくない。